見出し画像

映画『あんのこと』感想 確かに生きていたという叫び

 現実に起きた悲劇を知らしめるために作られたフィクション。映画『あんのこと』感想です。

 21歳の香川杏(河合優実)は、足の悪い祖母の恵美子(広岡由里子)と虐待を繰り返す母親の春海(河合青葉)との3人暮らしで、10代半ばから売春を強要され薬物中毒に陥っていた。中毒者の支援活動を続ける刑事・多々良(佐藤二朗)に出会った杏は、その熱心なサポートにより次第に心を開き、実家を飛び出し、売春と薬物を断つ生活を始める。多々良の活動を取材するジャーナリスト・桐野達樹(稲垣吾郎)が紹介した介護施設で働き始めた杏は、初めて人間らしい生活を味わう。だが、桐野は多々良のある噂を取材しており、それが明るみになると同時に、新型コロナウィルスの拡大流行によって、杏の生活は次第に追い詰められていく…という物語。

 『SR サイタマノラッパー』シリーズ、『太陽』『AI崩壊』などで知られる入江悠監督によるオリジナル脚本作品。2020年に新聞で掲載された、とある少女の人生について綴られた記事に着想を得て作られた物語だそうです。
 河合優実さんが主演ということで注目はしておりましたが、あまりにも観るのがしんどく辛いものの予感はしていたので、避けようかなと考えておりました。しかし、結構な評判が耳に入ってくるので、奮起して観たところ、やっぱり辛過ぎて、脳味噌と心に激しい筋肉痛のような後遺症として残っています。

 入江監督作品はいくつか観ていますが、ちょっとポップでユーモアある作風のイメージがありました。もちろん、社会問題を捉えたものも多いのですが、エンタメを損なうことなく仕上げているし、特に近年の作品は商業映画作品が多くなっているので、今作のような真っ向からエンタメ性を捨てている作風に驚かされましたね。

 今作のドラマ性の無さは、今の日本映画の主流にはないもので、海外作品での硬派な社会派映画に観られる傾向があるものだと感じました。先日の『関心領域』もそうだし、ダルデンヌ兄弟の『トリとロキタ』などにも近い空気があります。
 『誰も知らない』以降の是枝裕和監督も積極的に社会問題を扱っていますが、ドキュメント性の中に、フィクションや演出を使うことで、物凄く美しい物語に仕上げるという手法だと思います。近年のドキュメント風のフィクション作品は、あえてそれをせず、美しくない現実を突きつけることで、静かに激しい怒りを表現するという手法が増えていて、『あんのこと』もそのタイプに近いものを感じました。言わば「ポスト・是枝裕和」的な作品と呼べるかもしれません。

 薬物啓発物語のような序盤から始まり、毒親や貧困に、果てはコロナ禍までというように、社会問題を詰め込んでいますが、劇的な展開は少なく、淡々とそれらの事実を積み上げていく物語になっています。けれども、主演の3人(3人としていいと思います)の立ち位置、視点の違いがきちんと物語的に絶妙なバランスになっていると感じます。

 多々良刑事は、その真摯に中毒者と向き合う顔、その裏にある後ろ暗い部分の顔をあえて演じ分けることなく、同一の人格とすることで、矛盾を感じさせないというか、「人間は本来矛盾そのものである」ということを表現しているように思えます。演じる佐藤二朗さんのパブリックイメージ的な印象から入りますが、それがあまりノイズにならず、シームレスにシリアスな空気に変化していくので、改めて演技の巧い役者ということがわかります。バラエティコメディ的な作品よりも、佐藤二朗さんの演技はこういう作品で伝わるように思えます。

 稲垣吾郎さんの演じる桐野は、最も視点が観客に近いものに思えますが、プレーンな演技がそこにちょうどよくハマっているんですよね。杏を心配して寄り添う気持ちはあるけれども、多々良ほどは踏み込むことはなく、どうしても遠巻きに見ているだけのように思えてしまうその姿は、観ているだけで何もしていないのは観客である自分たちも同一であるということを知らしめています。

 そして、当然のように絶賛されるべきは杏を演じた河合優実さんですよね。ちょっと演技の憑依力が化物級になっていると思います。中毒症状の死んだ目に、少しずつわずかな希望が灯る様から、また絶望に戻るという繰り返しを、本当にわずかな違いで演じ分けていて、レベルが3ケタぐらい違う演技をしているように感じます。脚本で描いていても描いていなくとも、その演技の裏側に必ずドラマ性を感じるんですよね。1人の演技で、どれだけ行間を広げる表現をするのかと、恐ろしさすら感じるものです。

 徹底的なリアリズムある脚本の中で、唯一実話ではないと思える展開が後半にありますが、あれがこの物語の救いであると同時に、杏を追い詰める最後の要因になっているのも、悶絶してしまうほど辛いけれども、非常に巧みな脚本になっています。杏が命を繋ぐ役割をしたのが救いであるとも取れますが、それも傍観者の勝手な解釈でしかなく、観客は罪悪感のようなものを植え付けられることになっています。そして、それによってこの少女の人生を忘れ難いものにする事こそが監督の狙いなんだと思います。

 コロナウィルスはまだ無くなったわけでもなく、感染者は多いままですが、今作で描かれた2020年の頃ほどの毒性は弱まっていて、感染そのものを恐れる感覚は薄れています。そうするとどうしても、この時期に世界中が味わった絶望感を忘れられてしまうもので、そこで起こった悲劇も記憶の片隅から消えてしまうものかもしれません。今作はあの時期の不安感が確かに描かれていて、それを思い出させるに充分な描き方をしています。

 そして、今作で表現したいことが詰め込まれている、終盤で杏が見上げた空を横切る、あの飛行機の場面。この1ショットだけで、この物語がどれほど政治への激しい怒りを持っているのか、それを表現し切った見事なショットになっていると思います。ラジオ番組「アトロク2」のリスナーメールで、「この飛行機雲が杏の手首の傷と重なる」という解釈があり、非常に慧眼だと思いました。監督が意図してなかったとしても、この解釈が正解で良いと感じました。

 悲痛な物語であり、決して幸せになれる作品ではありませんが、杏という少女が生きていた、必死の思いでここで生きようとしていたという事実を、叫びのように伝えてくれる作品です。ちゃんと観る事が出来て、知る事が出来て良かったと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集