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【ピリカ文庫】ヤバい系のウメちゃん
同じ苗字のひとがいるとき、「鈴木さん」と苗字で呼ばれるのはいつも私のほうだ。
そんなのはもう慣れっこだ、と思う反面、新たな「鈴木さん」に出逢うたび心がざわつくのは、まだどこかで何かを期待しているからなのだろうか。
幼い頃から、姉妹も従姉妹もいなければ、近所に同じ年頃の友だちもいない環境で育ってきた私は、ひととコミュニケーションを取るのが苦手だった。
皆の輪に入らず、ひとりぽつんと佇むことしかできない私を、親は「人を喜ばすことができない不出来もん」と罵った。私がどんなに良い子にしていても、どんなに勉強を頑張っても、その評価が覆ることはなかった。
誰も私を見ない。誰も私に話し掛けたり笑い掛けたりしない。透明人間にでもなった気分だ。けれど別に苦ではなかった。このまま静かに大人になって60年、70年……寿命を待つのも悪くない。
そう思っていた初夏のある日、私の学業成績を評価してか、一人のお爺さんが私をスカウトしにやってきた。
「お嬢さんの秘めた才能はうちでこそ発揮できるもの」
驚いた。この世の中に私を必要としてくれる人がいるなんて。
ただ何事もなく過ぎていくだけだった日々。この先の未来が少し明るく見えた。
そうして付いて行った先にいたのが、同じ苗字の鈴木ウメだった。
ここにも「鈴木さん」……前言撤回。お先真っ暗。私の名前は鈴木ミウメ。名前までダダ被りしてるじゃない。
そのうえ、ばつの悪いことに、ウメは色白で可憐で見るからに美人だった。
これは誰がどう見たって私のほうが「鈴木さん」だ。
「ウメちゃん。新しいコ連れてきたから、仲良くね」
お爺さんが声を掛けると、ウメは無邪気な笑顔で私を出迎えた。
「マ!? ミウメちゃん激マブぢゃあん! ミウメちゃんに出会えてマンモスうれピー♡ あーしはヤバい系のウメちゃん! ウメちゃんって呼んでちょ!」
……ちょ、ちょっと待って、全然頭に入ってこない。
とりあえずヤバい系なのはわかった。そして清楚な見た目に反してフレグランスがキツい。
初対面でこんなことを言うのは失礼を承知だけれど、言わずにはいられない。
「あ、あのー。ウ、ウメさんは、黙ってたほうがいいのにって、よく言われません……?」
「ガビーン! 初対面のパイセンに向かってそんなこと言うなんて、激おこぷんぷん丸だぞ!」
わざとらしく頬を膨らませ怒った表情をしてみせた後、すぐに目尻が垂れる。
「なんちって、うそぴょーん! ちょっちミウメちゃんをからかっただけ! めんごめんご、許してちょんまげ! あと、ウメさんじゃなくて、ウメちゃんね!」
ダメだ、気になる。気になりすぎる。……いちいち古い。
これからこの場所での生活に慣れるまで、ウメがいろいろな面倒を見てくれるらしかった。
私、このひととうまくやっていけるかな……。
それからの生活は、今まで生きてきた日々とは打って変わって賑やかなものだった。
夏の花火、秋の紅葉、雪が降る冬の季節も、いつも側にウメがいた。
ウメの時代遅れなギャル語やギャグセンスは相変わらずだったけれど、そのたびに私はツッコミの腕を上げた。ウメのギャグに付いていくため、懸命に昔のギャグを調べた。私はいったい何の努力をしているんだろう。
一度「私は何の才能を認められて、何にスカウトされてここにやってきたの?」と訊いたことがある。すると、ウメは「そのうちわかるし、心配しなくてもチチンブイブイだいじょうⅤ!」と言って親指を立て、空高くグッドサインを掲げた。そしてその腕を徐々に下げる。
「それをするならVサイン。それじゃあシュワちゃん違いだよ……」
呆れたように言うと、ウメは顔を輝かせ、今度は両手でグッドサインを作り、両方の人差し指を伸ばしたかと思うと、そのまま腰を引いてみせた。
「ゲッツ!……じゃないんだよ、もう」
「ミウメやるねえ~!」
ウメは満面の笑みで喜んでいたけれど、今思うとあれはうまく話題を反らされたのかもしれない。
冬のある日、ウメのまわりにはたくさんの人が集まっていた。白いドレスを纏ったウメは美しく、人々はその美しさを口々に賞賛していた。まるでモデルのように慣れた様子で写真を撮られるウメ。
それを見て、やっぱりウメは私とは違うのだと思った。なぜだか無性に泣きたくなった。
以前までの私ならきっと気にならなかった。誰も私を見なくても、誰も私に笑い掛けなくても平気。むしろ透明でいるのは心が楽だったから。
ウメと一緒にいるうちに、私は弱くなった。馬鹿げた話をしながら笑い合える。私を見て笑ってくれる。「楽しい」や「うれしい」という気持ちを知った。けれど、そんな綺麗な感情ばかりじゃいられないことも多かった。「嫉妬」「劣等感」「不満」「不安」「欲望」。ああ、もう——泣きたくないのに、泣きたくなる。なんなのよう、これ。
「ミウメ! あんたも一緒に写ろうよ!」
「いいよ、誰も望んでないし、誰も私のことなんか眼中にないよ」
「ミウメがアウト・オブ・眼中なわけないぢゃん。つーか、あーしが望んでるんだっちゅーの。あーしらマブダチでしょ! ほら早く!」
「いいってば!!! その時代遅れな言語にもイライラするの! 私は努力したよ! ウメちゃんみたいになりたくて、ウメちゃんを理解したくて、そのチョベリバでワケワカメな言葉遣いについても超絶調べたよ! だけど、ウメちゃんはどうなの。何の苦労もなくみんなから愛されるウメちゃんに、私の気持ちなんかわかんないよ! ていうか古すぎ、もっとナウい言葉調べなよ!」
「どこに怒ってんのよ……てかバッチリ遣えてんぢゃん……」
「うるさいっ!」
「ちょっと、ミウメ!」
ウメの声から逃げるように顔を背けて耳を塞ぐ。
嫌だ。醜い。自分で自分が嫌になる。心が動くってこんなに苦しいことなの? 知らなきゃよかった。知らなきゃ……
そこまで思って、その続きの言葉が淀む。だって浮かぶのは、ウメと笑い合った日々ばかり。
どうして物事はいつも表裏一体なんだろう。
ウメに出逢わなければ、こんなに苦しい思いは知らずに済んだけど、あんなに楽しい日々もなかった。
ウメの言葉にイラっとする日もあるけど、ウメの言葉があったから笑えた日もたくさんある。
ウメが変わらないことがもどかしいのに、そのままのウメでいてほしい。
ひとりは楽だけど、ひとりは寂しい。
両方本当の気持ちなのに、それが相反する場合はどうしたらいいんだろう。
泣きたくないのに泣きたくなったり、苦しいのは嫌なのにいつまでも反芻してしまったり。
傷付けたいわけじゃないのに、傷付けるような言葉を言いたくなる。
ごめんって言いたいのに、簡単に言ってしまうことを拒む自分がいる。
本当はこんな自分嫌いなのに、こんな自分でも愛してほしいとたぶんどこかで思ってる。
華やかでフルーティーな甘い香りが鼻をかすめた。出逢った頃はキツいと思っていたこの香りも大好きになってしまった。
ウメの指が私の手に絡む。
「全部見せてよ、隠すことなく。思ってること。全部あんたの本当の気持ちなんでしょ」
そこから私は、堰を切ったように泣きじゃくりながら話した。ウメは音にならない言葉にも耳を傾けてくれた。
「ミウメって呼んでくれてありがどおおおぉ……!」
出逢った頃から思っていたことにやっとお礼を言えた。そう言ったら「どっちも鈴木だっていいし、どっちかが苗字でどっちかが名前じゃなきゃいけないなんてルールはない! そんなのはちゃんちゃらおかしい!」と、至極当たり前のことを言われた。それを至極当たり前だと、私自身が思えたことが嬉しかった。
「ウメぢゃんはそのままでいいがら、だがら、ごれがらも側にいでえええぇぇ……!」
「もうほんと困ったちゃんなんだから。そんなの当たり前田のクラッカーよ! あんたが死ぬまで側にいるわよ」
「だがらああぁ、古いってばあああぁ!」
「……でも、本当よ」
そう言って力強く抱きしめてくれた腕は、なんだかおばあちゃんの腕みたいな温かさを感じた。
***
「なに焦ってんのよ、ひとにはひとのペースってもんがあんの。待ってなさい、今にミウメの魅力が開花するんだから。あーしにはないミウメだけの魅力よ」
そう言った通り、ミウメはあーしより数か月あとに梅生で初めて綺麗な花を咲かせ、そして数年後の初夏には青々とした立派な実を付けた。
実のならない野梅系の花梅のあーしにはない魅力。あんたは人々を喜ばせるだけでなく、人々の健康を守ったり人々の食を豊かにすることもできる、素敵な実梅なのよ。
あーしは約束通り、ミウメが25年間天寿を全うするまで側にいた。
今までたくさんの実梅を迎え手助けをしては、そのたびに伐採され去っていくのを見送ってきたけど、あんたとの別れが一番辛い。あんたの所為よ。
でも、泣き言なんて言ってられない。あーしはあーしの天寿を全うするために、次の実梅ちゃんを迎える準備をしなくちゃ。年齢を言い訳にシャバい言葉ばっか使ってらんないし、ミウメを見習ってあーしも最新の若者言葉調べたんだから。
「おーい、ウメちゃーん!」
大変、お爺さんが呼んでる!
え!? 新しい実梅ちゃんは昨日から来てる!?
それガーチャー!?ほんまゴメンやで!
「あーしはヤバい系のウメちゃん! ウメちゃんって呼んでちょ!」
(3,836文字)
まさか再び『ピリカ文庫』へお声掛けを頂けるとは夢にも思わず。
きっとそんな機会があるならば、それはもっと私が書き手として成長した時だと思っていたので、今の私に書けるのだろうかと数時間悩みましたが、結局、恐れより嬉しさが勝ってしまいました。
お題『梅』で書かせていただきました。
文字数自由とのことで、もう900文字ほど短いものを書く予定でしたが、結局こうなる。クラブドストエフスキーの宿命です。
『ピリカ文庫』に相応しい作品ではないかもしれませんが、身に余るほどの光栄な機会をくださったピリカさん、そして最後までお読みくださった方、ありがとうございました。
(補足)
1* 梅の品種の多くは「自家不合和」という性質をもっているため、実梅でも一本だけぽつりと梅の木があるだけでは実がつかないことがある。そのため近くに別品種の「授粉樹」を植えておく必要がある。
2* 梅の木を観賞用として考える場合70年~100年以上は生育できる場合もあるが、梅の木を収穫したい農作物として考えるのであれば寿命は25年ほど。梅農家などでは、25年ほど経つと梅の実の収穫が極端に落ちるため古い梅の木を伐採して新たに新植する。
【参照2*】https://niwaki.info/umenoki-jyumyou#toc8