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音楽のある風景②


演奏の帰り、彼女と一緒にいた。


私は彼女の家路について行くことにした。どんな経緯だったかは覚えていない。何十分間も演奏した時の気持ちの高まりから私から言ったか、はたまた彼女からのアプローチだったか。

意識を飛ばすほどの音の優しさがその瞬間から帰路の今まであった。


色んな話をした。

私がこれから自ら命を閉じようとしていること、自分でも説明出来ないぐらいの精神衛生状況によって今があること、全てに迷惑をかけて今ここで生きていること。

私は濁声で、汚い話題を続ける。今までこんなに深淵のところまで人に喋ったことがなく、何故今この人にこんな話をしているのか、私は歩きながら困惑していた。

彼女は私の手を繋ぎながらその話を黙って聞いた。私の感覚では聴かせたと言っても過言ではなかったが、彼女は聞く耳と意識を持っていた。

彼女は私の汚い話題を聞きながら、私と歩幅を合わせて歩く。そして言った。

「着いたよ、今の君の家」



またそれからは拍手のような時間だった。

私は高校生ながら恋愛経験はある程度はあった。それなりに人を好きになったし、それなりのこともした。

でも彼女との時間はそれに似ていて、それからは外れたところにあった。私は全てを任せていた。

甘ったるく、ただ流れる時間。


痛い、辛い、苦しい。


そして、そこからも手拍子のような日々だった。


まるで別野加奈の「生活」のような時間と、青葉市子の「ひかりのふるさと」のような空間。



相対的な熱さが2人の中で溶け合って、オブラートすら消えていた。


だからこそ、そこから3日経ったある日、私は深く引き目を感じていた。まるで夜風が森林を鳴らして空虚を消すように、邪念と居心地が混在していた。




それを感じ取った彼女は私に問う。
「決着つけてくれば?」



その時の私には二つの意味があった。
自ら消える意味と現状を打破する意味。

彼女は否定せず、私の答えを尊重してくれた。


私は一晩考えた。

そして私は決着させることにした。



それからは私の元いた場所に一度戻り、凡ゆる矢先に謝罪をした。自らの行いを全て反省して、できるだけの猛省の気持ちを全てに向けた。

また気持ちも改めた。”この次がある”そんな気持ちも芽生えながら、これまでの私自身の命に対する価値観を変えて、次に向かった。


そして私は高校を卒業、大学に進学した。親から大学進学の際は一人暮らしをする約束になっていた為、5月頃まではその準備や片付けで忙しかった。

お盆とお正月が一緒に来た忙しさに、冬の寒さと春の心地よさが合算された感覚があった。針の速さすら見る余裕がなく、気付けば私は一人暮らしに悪戦苦闘している瞬間だった。


だが、その苦闘している瞬間を割り込んでくる救いの言葉が私にはやってくる。

「ねぇ、来週からそっちに引っ越す」


そう、彼女が来る。

既にこっちに家を借りているらしい。彼女は今ある仕事や家族、凡ゆる交友関係を置いてきて、こっちに来る。

あまりにも唐突過ぎる彼女の態度と行動に、私は困惑した。困惑と不安、また私は迷惑をかけてしまっているのではないかと思ってしまった。

私は身を挺して言った。いくらなんでも全てを置いてくる必要は無いんではないか。遠距離で紡ぐ方法はあったのではないか。

しかし彼女は私に言うのだ。

「遅い。私は待ってられない。今すぐにでも一緒にいたい。私がそう決めたんだから、そうする」






次のタイミングでは彼女は彼女の新たな生活拠点で構えていた。今の私とは少しだけ近く、すぐにでも会える距離。そしてお互いの生存区域を無下に干渉しない、適度な距離。

私は彼女に再び会った。念願の再会という感覚よりは洗面台で軽く会う程度の、日常の挨拶が出てくる再会だった。

彼女の手には鍵、多分今そこで作ってきたであろう、合鍵を私の前に差し出してきた。

「いつでも来ていいから。その代わりに私のいつでも行くから。これからも宜しくね」
「じゃあ、私と付き合う?」
「勿論、私は貴方じゃないとダメだから」

淡白にした。不恰好付けるよりかは、むず痒くても分かりやすく彼女に伝えた方が、彼女にとっても記憶されると思った。




これでようやく私は一歩を踏み出せた。




そして私は音楽を始めた。

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