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音楽のある風景③
音楽と彼女のある風景になった。
ようやく大学生活が進んだ。
彼女は一人暮らしをしながら、頻繁に私の家にくる。私の交友関係で家が忙しくなりそうな時は勝手に察して、また静かな時に勝手に来る。
仕事や家族など、全て向こうに置いてきた彼女の生活も、私と同じく一変しているが、彼女はその変化を芯から楽しんでいた。
まず仕事は全くやったことのない花屋と聞いた。「人柄採用だ」と自ら皮肉を言っていたが、接客業には人柄は最も有効な手札だと思う。
私もスーパーでバイトを始めた。何となく友達の紹介でレジにした。たまに帰宅する前には彼女が来る予定なんてなくても、2人分の食料をバイト先で買い漁る日々もあった。
ただ、彼女は友達を作らなかった。多分厳密には快く話せる仲間は多いだろうが、いざ仕事場から外へ出ると、その関係は希薄になっていた。私にはそう見えていた。
そして私は大学のジャズ研究部に所属した。彼女の影響だろうが、頑なに私は自分の音楽の探究によってと誤魔化していた。
そして昔からの幼馴染と外でロックバンドも組んだ。大学とバイト先、サークルと外バンドの四拠点生活は精神的にやられたが、彼女の支えはあった。
また彼女との時間は多くあった。大学以外ではジャズ研の仲間と会うことはなかったし、外バンドもあまり多くの時間を費やすことは無かった。私も私で、外の人間関係はかなり希薄に生きていた。
希薄に生きている者同士、私と彼女は多くの時間を普通に過ごして、それぞれの生活のリズムを作っていた。
そしてそこには常に音楽があった。
私の行動原理や趣味の移動範囲は基本的に音楽が中心となって、日々の生活や営みをしている。それから逸脱することは殆どなく、そこを必ず線路として生きていた。
私はそれがとても楽しくて、日常の退屈さも感じながらも不満のない日々があった。
それまで他人と生活を共にすることが殆どなかった為、誰かがそばにいる優しさがとても心地よく、私は彼女の隣ならずっと笑っていた。
なんなら私は過去の話を自ら進んでしていた。あの”私”が彼女に対して、自らの黒く塗り潰された歴史を話していた。
多分それほど、信頼していたのだ。
だからこそ私は驚いた。
それはこの生活が2年ほど続いた11月だったと記憶している。2018年の11月、ジャズ研のクリスマスライブに向けて、日々練習を繰り返していたある日、私の携帯が不意になった。
普段彼女から電話が来ることは殆どなく、親からの時折りの心配の連絡のみだった。しかしその日に携帯が鳴ったのは夜中、あまりその時間に親から連絡が来る前例がなく、私は戸惑っていた。
液晶には『非通知』の文字、私は出た。
それは聞きなれない声と意味の分からない言葉。瞬時に理解できる内容では無かった。
そこから発せられるのは、全ての生活を逆さまにする意味が含んだ言葉。
私は此処で、彼女が死んだことを知った。
彼女は自らの手で、私には何も相談せず命を堕とした。電話の相手は彼女の妹だった。彼女が唯一連絡先に入れていた私の電話番号を彼女の妹は知り、全てを伝えるために連絡してきた。
事の経緯や現状を全て聞いた。
私は巡った。頭の中で血液が循環するのを感じ取れるぐらい、脳の稼働させて、胸の鼓動と共に巡る思考と動悸を重ねた。
気付くと私は膝から崩れ落ちて、気を失っていた。携帯からは無音の圧のみで、私の部屋の明かりは無常にも付いたまま。
すぐさま、私は起き上がった。
すぐに彼女に会わなくては。
手付かずの状態を打破して、行動しようとしたら視界が揺れた。少し大袈裟に誇張したが、実際には視界が擦れた感覚があった。
私は目を押さえた。懐に仕舞うように閉じた。そして自分の中で何度も”大丈夫”と唱えた後、再び目を開けた。
すると、片目が見えてなかった。
私はあまりに精神的ショックで、右目の視力が一時ゼロへと降ったのだ。
片目だけの視野になると、世界が歪む。私は足が震えた。しかし動かなくては。だが、何も出来なかった。
今度は私から彼女の妹に連絡した。
しかし何も返答が無かった。
途方に暮れた。
私はこの日、初めて音楽を閉じた。
全ての予定をキャンセルして、そのまま家に閉じ籠った。何も流れてこない、無音の部屋。
私は泣いた。嗚咽した。
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閉じたら気が楽になる、とはならなかった。私は無価値の状態で肉体を動かしていた。
不幸になるだけで、生活をやめない私がいた。バイトはいつも通り行って、ジャズ研はいつも通り演奏した。
しかし顔には出ていた。私の空すらも嫌悪する、隆盛が繰り返す顔色が皆には伝わっていたに違いない。
この時の私は依存していたものがある。それが音楽だった。閉じただけで終わらずに、殆ど精神を入れるように聞いていた。
彼女がいた頃に聴いていた音楽の楽しみ方ではない、貪るように依存する音楽の姿。私は恐らく最も間違った人間だったと思う。
だからこそ、いつも通りの演奏なんて、出来る訳もなく、多分、あの頃の私は怠慢で演奏していた人間に見えていたのだろう。
実際技術的にも精神的にも、私は怠慢だった。
クリスマスが過ぎて、正月が過ぎる。
ある日、私は彼女の親に呼ばれて、実家に向かった。私は亡くなった後、初めての再会の機会を得た。
どんな気持ちで会えばいいのか。正直、雷雲が私の頭の中に疼いているだけで、明確な精神を保てる状態では無かった。
でも何かをしなくてはと、私は帳を開けた。
この時見た彼女は、綺麗な箱に入っていた。到底人間が収まりそうにない、小さい箱。私の知っている彼女では無かったが、私の知らない彼女を見れて、何か安心してしまった。
でもそんなことをその時知っても、私の気持ちは何も変わらない。彼女のことを好きと思う、このくだらない気持ちは変わらない。
「…………お疲れ様」
これだけ言った記憶がある。
それを最後に、私は再び咽び泣いた。
それからはコロナ禍もあり、私も同じ道に辿ろうとしてしまうが、彼女に止められそうになって、結局ウジウジと何も出来なかった。
ただそれを最後に、私たちの関係は終わった。そこから新たに踏み出すのに、相当な時間が掛かった。
でも私はこの音楽を聴けるほど、生きている。
私は彼女が出来たことを、出来なかった。
今も生きている。この文章が書けている。ただ、部屋には誰かはいない。誰かいた日はあったが、あの時の愛はない。
今の私の部屋は、音楽だけのある風景だ。
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-fin-