「敵」原作の純文学的ムードを逸脱しない程度にグロテスクなバランスが見事。
どうも、安部スナヲです。
「思い入れ」というのは、世間での評判や人気よりも自分にとっての特別度が上回る場合に強くするものです。
筒井康隆の小説はたくさん読みましたが、何度も何度も読み返したのはこの「敵」だけであり、またこれまで吉田大八監督が映画化した文学作品は、朝井リョウも角田光代も三島由紀夫も原作の面白さを超えるばかりか、更に別の面白さがプラスされた大傑作だと思っています。
何がいいたいかというと、つまりこの映画は、「オレの為に作られたにちがいない!」…というくらい、ピンポイントで思い入れを射抜いて来た作品だったのです。
【あらましのあらすじ】
渡部儀助(長塚京三)は、77歳の元大学教授。
妻・信子(黒沢あすか)に20年前に先立たれて以来、都内の古い屋敷にひとりで暮らしている。
美食家としてのこだわりを反映させた日々の手料理をはじめ、その静かな暮らしは隅々まで丁寧。
交友関係も基本的には淡白だが、たまに自宅に招いて食事を共にする教え子の鷹司靖子(瀧内公美)と、行きつけのBAR「夜間飛行」のオーナーの姪・菅井歩美(河合優美)には、密かな想い(欲望)を抱いている。
「預金残高に合わない長生きは悲惨だから」という価値観のもと、誰にも迷惑かけず死ぬつもりで、遺言書も書いている。
ある日、パソコンに「敵です。敵が北からやって来ます」という不穏なメッセージ。
よくある迷惑メールとやり過ごすのかと思いきや、それを開いてしまって。。。
【感想】
まず原作の、何がそんな好きなのかというと、単純に富裕層とされる老人の、質素なようで何だかんだラグジュアリーな暮らし振りを擬似体験するのが楽しいのだ。
原作では、米何号にどれくらいの水を入れれば好みの炊き加減になるとか、鮭の切身を何回に分けて食べるとか、コーヒーはどこどこ商店で買う最高級のブルーマウンテンで、預金残高が減ろうともこれを妥協する気はないだとか、儀助爺の些末なこだわりが詳細に描写されている。
あくまで個人のこだわりを感ぜられるところがミソであって、それがなければ単なるお料理レシピや快適生活マニュアルになってしまう。
静かだけど満たされた生活とそこはかとない感傷…それらを筒井康隆の筆力によって没入させられるのが小説の醍醐味だった。
映画は全編モノクロだが、例えば鮭や焼き鳥をわざわざ網焼きにすることでシズル感にケムリを加えて風情を出したり、こちらもいわゆる「グルメ」な画にさせない工夫によって、映画ロマンを保っている。
儀助の丁寧な暮らし振りは、「パーフェクトデイズ」の役所広司扮する平山のそれと比較するのも面白い。
儀助と平山は生活レベルはちがうが、幸福度にちがいはないということがよくわかる。
正直、敵が襲って来るの来ないの、夢と現実が混濁するのしないのは、あまりどうでも良かったのだが、映画となるとそこが表現の見せどころだろう。ましてあの吉田大八監督である。
その点、三島由紀夫原作「美しい星」の映画版におけるサイケでカオスな寓話表現にド肝を抜かれた身としては、今作への期待も大きかった。
やはり、さすがであった。
儀助の内面のカオスをシニカル視点で追いながら、グロテスクに飛躍する映像シーケンスは芸術的だった。
飛躍度合いが、原作の純文学然としたムードを逸脱させないバランスなのが巧いところ。
しかし、実をいうと本心ではこれらのことは二の次で、鑑賞中、私は殆ど鷹司靖子役の瀧内公美に見惚れてポワーッとなっていた。
何なんだあの色気は。
それこそ儀助が丁寧に調理した鮭や肉のシズル感に匹敵するくらい、スクリーンから匂い立つ鷹司靖子の色気に悶絶していた。
あんなフェロモンオバケみたいな女性と、ご馳走やワインを前に2人だけで対峙したら、カオスな妄想を抱くなという方が無理である。
あと、菅井歩美も原作のイメージのまま適度に今っぽい存在感が良かった。
河合優美の実力は言わずもがなだが、今、彼女がスクリーンに登場すると映画が締まるというか、バリューと品格が一段上がるような感じもある。
ただ残念に思ったのは、儀助が彼女の学費を肩代わりして…というアレンジ。もしあれが夢ではなく現実なら、ちょっといただけない。
あれをやられると、菅井歩美がファムファタール的悪女に変貌してしまうし、そんな中途半端なミステリー要素は求めていない。
何らかの「事件」が起きてしまっては、静かな老人文学が台無しになると思うんだなぁ。