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【私小説】相続遺産が甘口ポークカレーだった友人の話
「記憶」と「思い出」。両者の違いはなんだろうか。
仮に「誰かと過ごした思い出話をして」と問われたとき、誰とどのような思い出を想起するだろう。
「記憶」というと、小学校の教科書に出ていたニューロンとシナプスの話を思い出す。
人が何かを思い出したりする時には、脳内細胞のニューロンとシナプスが(わざわざニューロンとシナプスについて調べていないため事実は違っている可能性が高い)連携しているらしい。
ニューロンが記憶を格納しており、シナプスが各ニューロンを繋ぎ、それを我々の意識化に引き出し、言葉や感覚やらで認識するというプロセス…だったという記憶がある。
どのようなきっかけで記憶が呼び起こされるのだろう。
コンピューターのように、クラウドストレージにアクセスし、思い出すべき記憶が格納されたフォルダを指定し…そうして意識下に引っ張り出すような、手続きめいたものが存在するのだろうか。その場合、ストレージにアクセスする力点というか、トリガーは何になるのだろう。
随分前に漫画の「美味しんぼ」で、刺し身の味から過去の思い出が呼び起こされるという素晴らしい話を読んだ(8巻か9巻だった記憶だ。ファッチューチョンの話とともに、好きな話だ)ことがある。「舌が覚えている」ということは、確かにあるような気がする。この場合は味がトリガーなのだろう。
今のところ(2025年2月現在)人工知能は食べ物を味わうことは難しそう(塩分濃度がX%、酸味がY%、苦みがZ%、アミノ酸指数AA%のような表現はできるのかもしれないがそれが写実的に味を表現しているとは思わない)であるし、味覚をきっかけに回想するということは人間ならではなのだろうと思う。
***
「思い出」について、私は友人から興味深い話を聞いた。
伝聞のため、脚色や認識の齟齬はあるかもしれない。ただ、そこは許容頂けると嬉しい。なおその友人にもここへの記載は了承している。
その友人と私は数年会っておらず(私が関西在住、友人は関東であり機会がなかった)久々の近況交換だった。
彼と私は、ともに1980年代末から90年代前半に東京23区内、東東京の(江戸川、葛飾、江東、墨田あたりだったと思う)中規模の団地で幼少期を過ごした。
典型的な昭和建築の団地で、14階のピロティ構造(一階が住居でなく店舗や自転車置き場になっていることが多い)だ。
外観は、ぼやけたベージュ色の外壁にアクセントとして薄いねずみ色(グレーという感じではない)がバルコニーだけに施されている。専用の公園や駐車場もあった。
当時の団地は、一様にこうした建築様式だった。
当時はとにかく子どもが多く、各階は約30部屋(一棟の中に2つの建造物がつながったようになっている)ほどあったように思う。
小学生時代は高度経済成長期で、特別裕福ではないが不自由はなく育った(友人の話ぶりからそうした印象を受けたが、実際の懐事情はわからない。私の方は、確実に裕福ではなかったが何も問題は無かった)。
同じ小学校に通う子供が多く住んでおり、学校が終わるとなんとなく誰かの家や時には自分の家に集まり、ファミコンをやったり(アイスクライマーで喧嘩をしたり)、団地に近接した公園で遊んで(当時は容易に空き缶が見つかったので缶蹴りが多かった)過ごした。
友人の家のこともあったし、私の家で遊ぶこともあった。
夕方になり、遊び疲れて帰ると、家々の換気扇から夕食の香りが漂ってくる。魚を焼くけむり(大体がアジかイワシだとわかる)と味噌汁。そうした一日が連続していた。
彼の家族は父母と弟の4人家族で、平日は父親は遅く、一緒に食卓を囲むことができない日が多かったが、休日はたまに夕食を作ってくれたという。
その当時は、ハイライトというくすんだ水色のたばこを吸う人が多かった印象(私の父がそうだったからバイアスかもしれない)だが、彼の父は赤いキャビンというブランドのたばこを吸っていた。近所のたばこ屋に買い物につかわされた記憶があるらしいが、当時は店のおばちゃんも、彼の父親を見知っており、ちょっとした世間話とともに売ってくれた。
帰りに残ったお釣りで近所の個人経営のスーパーに立ち寄り、その日のおやつを買うのだ。
テレビからオノデンや石丸電気、バザールでござーるのCMが流れ、誰もがその歌を歌うことができた。
***
その友人の父親が、高齢になり、ある日体調を崩し入院したのだが、入院生活で少し様子がおかしくなったという。
まず自分が病院にいることが認識できていないことがある。例えば「今日は北海道に行ってきたんだ」とか、随分前に亡くなっている「◯◯さんに会ってきた」と言ったらしい。
もともと冗談を好む人だったため、最初は冗談かなと思った。だが、どうやら本気のようだ。
友人は、このまま父親との会話が不自由になり、昔の思い出や、父の人生観を聞くことができなくなることを懸念した。
その時点(入院して一ヶ月経たない程度)ではある程度問題なく会話もできたが、とはいえ改まってみると、話題が思い出されない。
もちろんこれは話をしておきたいとその時に考えたことを、思いつくまま会話をするがあまり新しいことや、ハッとさせられるような事実には行き着かなかった。
その時、彼は父親との日々があまりにも日常すぎたのだろうと思った。
もちろん、それが悪い事ではない。だが特別印象深い思い出というものがないのだ(あるのかもしれないが検討もつかないのだ)。
ただ、彼も中年になり人生とはそうした日常の積み重ねから成り立っていることも理解していた。
そして、それが悪いことではなく、むしろそうした日々を過ごせたことに、感謝というか、それに近い感情をもった。ただ、なんとはなしの寂しさも同居していた。
すると友人は、急に昔の様子が見たくなった。
久々に実家の団地に帰り、母親から昔の写真が記録されたアルバムを出してもらう。
写真は液晶画面上のそれにはない独特の色合いであり、それは明らかに過去を表していた。
フジカラーやコニカカラーなど、フィルムのブランドが写真の裏に印刷されていた。
また、彼の几帳面な母が、アルバム裏表紙のポケットに、丁寧にネガを収めていた。
そこには家族の様々な写真が残っていた。富士の河口湖であったり、東京湾の潮干狩りであったり、ディズニーランドの写真だったり様々で、中でも父が昔所有していた銀色のホンダシビックが懐かしく思われた。
それらを懐かしく思った。たが、過去にも見たことがあったからであろう、特に感情を刺激するようなものはなかった。
アルバムが収納された、父親の書棚を見た。
安部公房と山本周五郎の組み合わせが少しアンバランスだなと思っていると、一冊のノートが見つかった。そこまで古いノートではないようだが、ごく最近のものでもない。
料理を趣味にしようとしていたのだろうか、そこにはいくらかの「料理の作り方」が父の字で書かれていた。
途中で飽きたのか、書かれているメニューはほんの少しだった。「牛肉のしぐれ煮」「塩昆布ときゅうりのたたき」などつまみのような料理たちの中に、ポークカレーのレシピが書かれていた。
ポークカレーは父親が休日に作ってくれたメニューだ。
私は彼が撮ったメニューの写真を受け取っている。
それを見ると、彼の父親の字はハネやハライが極めて少なく、カドは柔らかい。理系のゴシック体という印象だった。
以下、手書きをできる限りそのまま書いた(スペースや改行、記号も含め)ため、少し読みにくいがこだわり屋人となりが感じられる。
【わが家のポークカレー(豚の顔の絵)】
-材料 4人前-
①豚肉 300gから400gくらい
平たいが少し厚めのショウガ焼き用のようなやつをひとくち大に切る。
肉はひとり50gから100gくらい食べられるように多めにする。
②にんじん 1本
ごろごろ目に切るとにんじんの甘みが彩りになってよし。
皮はむかない。
③たまねぎ 1個
-A 半分を5mm角のみじん切りにする。
-B 半分をうすぎりにする。
④じゃがいも 1個
ごろごろ目に切ると贅沢した気持ちになるのでよい。
⑤薬味
-C しょうが→ちょっと多めひとかけ。すりおろす。半分は炒める用。半分は煮る用。
-D にんにく→3粒くらい。すりおろす。半分は炒める用。半分は煮る用。
-E (あれば)市販の飴色玉ねぎペースト。いれるとうまくなる(昔はちゃんと作っていたが今は面倒)。
⑥カレールー
ゴールデンカレーがよい。スパイス感がちょうどよく残っている。
-作り方 (かんたん 4ステップ)-
1. 豚肉のしょうが焼き風香ばし炒めをつくる
加熱したオリーブオイルにすりおろしたにんにく(半分)としょうが(半分)と豚肉を入れて、少しのしょう油とコショウを味付けて炒める。それだけでおいしいしょうが焼きのようになるが我慢。
2. 野菜の風味が増すように炒める
豚肉に火が通ったら野菜を全部入れて炒める。焦げ目がついたらOK。
3. 煮る(玉ねぎペースト忘れないように!)
炒めた鍋にそのまま水を700mlくらいいれ、残りのすりおろしにんにくとしょうがとあめ色玉ねぎペーストを入れて煮る(8分-10分くらい)中濃ソースを数滴入れる。
4. 完成
カレールーを半箱分いれる。甘口でもうまい。
友人はそれにできる限り従いポークカレーを作った。
作り方通り、最初は豚肉を、ニンニクと生姜で炒め、醤油で味付けしたが、これだけで非常に食欲を刺激される。特に炒めた生姜と、にんにくの香り、またジュワジュワと炒める音がなんとも言えなかった。
豚肉を厚めのものにしているのが贅沢でさらに食欲を増幅させる。
すでに豚肉の生姜焼きのようでつまみ食いをしたくなるが、それを抑える。
ごろごろと切った野菜とすりおろしたニンニクと生姜、玉ねぎペーストと中濃ソースを数滴加え煮込む。
最後に父親の指定に従い、ゴールデンカレー甘口を半箱加えると完成だ。
水分は少なくトロリとしており、野菜と肉がゴロゴロしている。
友人は具材が少ないカレーが得意ではないようだが、そのルーツがここにあったのかと今更ながら気がついたらしい。甘口でも十分うまいことが想像できるし、むしろ野菜とポークのうま味を引き立たせるのは甘口かもしれない。
そうしてできたカレーは、肉を食べるカレーという印象だ。とにかくポークが多い。香りと見た目で腹が減る。生姜とニンニクのおかげか、とても爽快な香りが混じる。
久々に集合した、母と弟が揃い、昔から変わらない合板の茶色の低いテーブルにつき、そのカレーを口に入れた。
すると豊かなスパイスの香りが鼻に抜け、口に広がった。
黒胡椒だろうか、何かが控えめにピリピリの舌を刺激する。
厚めに切られた豚肉は丁寧に炒めたことがよかったのだろう、下味の醤油と生姜の香りが残っている。この歯ごたえもよく、もう一片口にしたいという欲が抑え難い。
さらにごろっとしたじゃがいもの舌触り、にんじんの甘味…。
非常に複雑な味覚、触覚、嗅覚それら全てが彼を刺激し、それがトリガーとなり、彼の小学生時代の父と過ごしたシーンがスパイスの香りとともに鮮烈に思い起こされた。
それは見たというよりも引き戻されたという感覚に近かった。彼の意識は科学で説明できるような次元の世界と違う場所におかれていた。
ーー夕方に換気扇から漏れる我が家のカレーの香り。
のぞき穴のついたベージュ色のドア。
深い草色の玄関マット。
乱雑に脱ぎ捨てられた運動靴の匂い。
低い天井。
畳の屋根に無理やり敷いたブルーグレーのカーペット。
夕食をとるための低く濃茶色の木目が残ったお膳。
昭和の台布巾。
新聞のテレビ面とインクの香り。
お膳に並べられた見るからに温かなカレーとその香り。
瓶のキリンビールのロゴと、それが注がれた安いグラス。
キャビンの箱と黒いプラスチックの灰皿。
父親と食後に打ったプラスチックの将棋駒と父が必ず指した飛車先の歩。
赤いブラウン管テレビ越しのクイズダービーとはらたいらさんに3000点。
『この番組はご覧のスポンサー…』というアナウンスとブルーバック。
夕食後、休日の空気の香りーー
それらは、こう言葉にしてしまうとただの事実の羅列にすぎない。ただ友人は確実に彼の中のどこかに父と家族の日々が保存されていることを認識することができた。
もはや彼は父親と無理に会話をする必要がなくなっていた。いつでもポークカレーが父親との日常へ引き戻してくれるだろうから。
***
数カ月後、友人の父親は他界した。
少しの預金と、ポークカレーの作り方が書かれた料理本を遺して。
(おわり)