生半可な文筆家

育児と仕事の合間を縫って、何かを文筆しています。日々の食に楽しさを求めるタイプ。細野晴臣と池波正太郎、谷崎潤一郎のファンです。

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育児と仕事の合間を縫って、何かを文筆しています。日々の食に楽しさを求めるタイプ。細野晴臣と池波正太郎、谷崎潤一郎のファンです。

マガジン

  • (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす_各話一覧

    連載する「(約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす」をまとめたマガジンです。

最近の記事

男性不妊検査を受けた時に考えたこと。 それと魚について。

「なぁ不妊検査受けてみてくれへん?」 妻がこう言ったとき、私は夕食の煮イワシを口にしようとしていた。 リビングダイニングのテレビでは『世界ふしぎ発見!』の女性レポーターが、ダ・ビンチがゴニャゴニャと私達へ熱っぽく語りかけている。 私はイワシの梅煮が好きだ。 その日はそれをご飯のおかずとして食べるか、はたまたビールの肴にすべきか悩んだ結果、半分はご飯と食べ、残りはビールでゆっくりと楽しむことに決めたのだった。私は既に濃口醤油と砂糖で甘辛く煮込まれ、つゆで骨まで柔らかくな

    • 銃を愛すアメリカ人。トムと銃と選挙について語った -2020年アメリカ大統領選に寄す-

      2020年11月。4年ぶりのアメリカ大統領選挙が行われる。 民主党候補者の熱く洗練された演説。それに応じるかのようなトランプ大統領特有の強くあけすけな表現。アメリカは11月に向け世界を巻き込みながら熱さを増しやがて沸騰していくのだろう。 ただ私はアメリカ大統領選の結果予想や各候補者の評論はしないつもりだ。私はただ、かつて同じオフィスで机を並べたアメリカ人。トム・マッケンジーとの個人的な交流ついてここで語りたいのだ。 私は数年間あるアメリカ企業に勤務しているが、トランプ大

      • 落語家 立川いらく を偲び亀戸餃子を献じた話 - 彼の『 芝浜 (AI版) 』を評す

        もう随分と前のことになる。私は世田谷方面から羽田に向けてあるタクシーに乗ったのだが、その運転手の男性と落語の話になった。 20代であろうか。体が大きく運転席が窮屈に見え、黒縁の太い眼鏡に、長めの髪の毛がチリチリと四方八方に広がっている。 環八を快走しながら少し話をすると彼は北海道から上京し、漫才師を目指しながらタクシーで生計をたてているらしい。彼は芸の道を進みながらも、落語はほとんど聴いたことが無いという。年末だったということもあり、私は彼に『芝浜』を聴いた方がいいと伝え

        • (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -10- 灼熱砂漠での営業と英国靴

          父方の祖父が82歳で亡くなったのは、私が大学生で、内定した広告代理店に入社する数ヶ月前だったと思う。 死後しばらくして、父が祖父から預かっていたという数年分のお年玉をいくらかまとめて私にくれたのだが、何か残るものが欲しいと悩んだ結果、革靴を買うことにした。 祖父は幼い時分に、確か北陸だったか、その周辺から家族の事情により東京に越して来、赤坂周辺に住み着いたらしい。私も詳しくは知らないが当時庶民の中心地は隅田川周辺だったはずだから、赤坂は自然豊かだったようで、子供の時は狸を

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        • (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす_各話一覧
          3本

        記事

          (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -8- 飛び込み営業とお好み焼き

          本格的に営業活動に出るまでに、約30名程の先輩営業全てに同行研修をした。 それは基本的に見て盗むやり方だった。そして営業同行を終えたあとは、私の入社した会社ではそのまま野に放たれ新規開拓営業、つまり飛び込み営業を行い仕事を取ってくることになるのだ。 同行した多くの先輩が印象に残っている。 仕事よりもサッカーが好きで、毎日サッカーウェアで通勤し、スーツを別に持ってくる高田さん。彼はサッカーのために体力をつける目的で約50kmの距離を毎日自転車で通勤していた。雨の日もだ。

          (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -8- 飛び込み営業とお好み焼き

          (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -5- 60歳の左遷。飛び込み営業の毎日

          そして、ある2000年代初旬の4月1日。新卒社員としての出社の日を迎えた。 前日は名古屋城の天守閣に登り、名古屋の町並みを一望した記憶がある。その当時は名古屋には高いビルはほとんどなく、10階程度のビルと家々が眼下に広がっていた。 当日は8時半少し前に出社した。 その日は家探しを助けて頂いた総務の加山さんが既に出社していて、支社には約50人ほどの社員がいることなど簡単な説明があり、その後、支社内に3つある部のひとつ、私が所属する第一営業部の井ノ本部長を紹介された。 井

          (約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -5- 60歳の左遷。飛び込み営業の毎日