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(約)20年前の広告業界から働き方を思い起こす連載小説 -10- 灼熱砂漠での営業と英国靴

父方の祖父が82歳で亡くなったのは、私が大学生で、内定した広告代理店に入社する数ヶ月前だったと思う。

死後しばらくして、父が祖父から預かっていたという数年分のお年玉をいくらかまとめて私にくれたのだが、何か残るものが欲しいと悩んだ結果、革靴を買うことにした。

祖父は幼い時分に、確か北陸だったか、その周辺から家族の事情により東京に越して来、赤坂周辺に住み着いたらしい。私も詳しくは知らないが当時庶民の中心地は隅田川周辺だったはずだから、赤坂は自然豊かだったようで、子供の時は狸をよく追い回したという話を聞いた記憶がある。兄弟が何人かいたが、関東大震災で地割れにより妹を亡くし、太平洋戦争で航空隊へ配属された弟を亡くしていた。祖父は、私も今でもそういった部隊があったのか信じられないのだが、騎兵隊として戦地に送られ生きて帰還した。

祖父の残した数年越しのお年玉で買った靴は、黒い外羽根のイギリス製で、5万円前後だっただろうか。私の足に合い、大変履きやすく、品質の良い革靴はこんなにも快適なものなのかと今まで味わったことの無い感動を覚えた。

そして私は新卒として広告代理店入社後、広告販売の飛び込み営業を行い、1件の受注も無いまま約3ヶ月が過ぎ、夏がきていた。

名古屋の夏は暑い。100メートル道路の先に陽炎が見える日があるほどで、まるで自分が砂漠にいるかのような錯覚に陥る。

暑さの理由は、これは完全に私の仮説ではあるが、道路が広く、また自動車が多いこと、また街路樹や公園が他の都市圏に比べ少ないことと思う。

私は社内的な配属部署の関係で、教育関連業種への営業に限定されていた。

教育関連業界には、専門誌が多くあった。例えばリクルート社が発行しているような進学情報や、資格情報の専門媒体などが想像しやすいだろう。約20年前はまだ紙の雑誌が中心だったように思う。

広告の目的は様々だが、ひとつは「欲求が顕在化した顧客、つまり検討層に対し、広告を通じて購入を促す」ことだ。

そのため広告は検討者が多くいる場所へ掲載することが効率的とされる。

なぜなら掲載だけで費用が発生する広告もあり、無関心者が多い場所に掲載することは費用効率が悪くなる可能性が高いからだ。(なお新商品告知を目的に未認知者へ向け広範囲に広告を掲載するという場合もあるため一概には言えない)

つまり、ある学校が入校者募集のための広告を検討する場合、費用を使うのは進学検討者が多くいるであろう進学情報誌ということになる。そして多くの学校はそのために予め予算を確保する。

ただ総合広告代理店で教育専門媒体をもたない私には、マス4媒体(新聞、テレビ、雑誌、ラジオ)を中心に提案していくしかない。また、飛び込み営業でいわゆる余剰予算を狙うことも考えられるが、各社もこうした予算は突発的に良さそうな広告商品が出たときのために確保していておくものなので、財布の紐は硬い。

もちろん私の営業能力が欠けていたという点も大きかったと思う。

確率は低くとも飛び込み営業で全く担当者に会えないわけではない。面談相手との会話を通じ、数カ月後の広告出稿の可能性を把握し、それまでに数度訪問し様々な方法で信頼性を高め、広告出稿のタイミングを逃さないことが基本的だが、なにしろ経験が浅くそれに気がついていなかった。

そして何も決まらないまま、祖父の靴とともに、毎日のように歩いた。

約30度は超える名古屋の路上を飛び込み提案のため歩いたのだ。そして殆どの場合一瞬で面談を拒絶される。それはその先にあるかすらわからないオアシスを探す砂漠の放浪者のようだった。

20年前の当時はクールビズもなく、いやおそらくあったのだが浸透はしておらず、支社内でも「ネクタイせずに営業行けってのか?」というような話が先輩たちの間でされていたのを覚えている。そのためネクタイは外さなかった。

外回りはネクタイをせずに歩くことが辛い。そして次に上着が煩わしくなる。

同期の荻窪、彼は少し太っていてぼそぼそと話すタイプなのだが「スーツの上着。暑いから脱いで手にかけるんだけどさ、かけた側の手がどんどん暑くなってきて、それでもう片方の腕にかけると今度はそっちが暑くなってくるし…。それで肩にかけるんだけど歩き疲れているから今度は鞄が重く感じられてきて…もうどうすりゃいいんだよ……」と大きな身体で汗だくになりながら、今にも溶けてしまいそうに力無く話すのを見、平和な悩みだなと思ったことを覚えている。

私には暑さへの秘策があった。

それはただ「営業中にアイスを食べながら歩く」ことなのだが、連日の暑さにまいっていたその当時は大発明だったのだ。

これはおそらく、外回りの営業を夏の日中に続けた人でないと共感は難しいだろう。

お金にも限りがあるので、10分以上かかる訪問先、かつ暑くてたまらない時にだけ食べる。汗が額から垂れるほどの暑さのなか、コンビニに入る。こういう時はもはや身体が熱を溜め込んでいるためコンビニ店内でも涼しく感じられない。そこで特に冷たそうな、なるべく長く食べていられそうなアイスを買う。そしてそれを食べながら歩くだけで、身体の中心から一気にその冷めたさが広がってくる。食べている間だけはクーラーがよくきいた部屋にいるような感覚になるのだ。今は自分で書いていても笑えてくるが、その当時は革新的な発見だった。

荻窪にも早速教え、実践した彼も感動していた。あんなに嬉しそうにしていた彼はあの時しか見たことがないかもしれない。

なおその後、営業の先輩、南野さんから「お前そんな毎日ちゃんと営業していたら身体壊すぞ。一日を午前、日中、午後と3つにわけて、どこか一つは喫茶店でも映画館でもいいから休めや。頑張っているフリしてみんなほとんどがそうしてるぞ」とありがたい忠告を頂いた。南野さんは服飾関係の広告に強く、いつも涼しげで格好が良かった。

すると、私も調子に乗り、営業中に一時的に帰宅しそこで休む日が出る。喫茶店代が続かないためだ。家に入る瞬間を気難しくネズミ顔の佐藤次長に目撃された。遠くから目が合ったが彼もニヤニヤし、全てを見通した様子で、その後何も起こらなかった。

ただやはりそれからも遠くへの訪問はあるため、ネクタイをしながらの外回り営業にはアイスが欠かせなかった。

そして祖父のお金で買った、厚い靴の底も減っていった。何も生み出さないまま、底だけがすり減っていく。

一ヶ月もせずにかかとがすり減り、修理はするものの、半年もせずに今度は底に穴があいた。

何かの底が見えた。

(つづく)

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