『悪意の科学』を読みました。
書評で見たのが読んだきっかけだったと思います。
今思ったことですが、『○○の科学』というタイトルは流行りなのか分かりませんが、私はこの手のタイトルに惹かれるようです。
読んだことがある本として、『多様性の科学』『失敗の科学』『知っているつもり 無知の科学』『因果推論の科学』『悪癖の科学』『教養としての認知科学』『性と愛の脳科学』があります(調べてみたら科学まみれでした)。
さて本題に戻ってこの本を読んだ感想を書いていきます。
本書は悪意はどこから生まれたのか?そしてどんな影響を社会に及ぼしているかについて書かれていました。
悪意の成り立ちについては人類の発展にまで遡って書いてあります。ここは読んでいて『サピエンス全史』を彷彿させるような内容でした。人類が狩猟採集生活から農耕生活へと移り変わり階級構造が発生し、多くの人類をまとめるために宗教や神と言った概念が生まれた。こういった概念は『サピエンス全史』上では虚構と呼ばれています。狩猟採集時代には狩りをして多くの獲物を取った場合には集団の中で獲物が分けられて独り占めすることはいけないものとされた。みんな平等に分け合うという価値観があった。けれども、農耕生活に移ると集団内に階級構造が生まれ、独り占めするものが現れた。これが悪意の始まりだと解釈しました。つまり平等を守るために他人に嫌がらせをすると。
個人的にはこういう流れを理解してから、『サピエンス全史』の中での、人類の発展の流れではなく、人類が発展していく中で悪意に特化して書かれた本だな~とざっくり思いました。
と言っても、この本のメインは最後通牒ゲームからみられる悪意をとことん掘り下げた本だと思います。
最後通牒ゲームとは何かというと、ある人がお金を貰って(例えば1000円)、自分ともう一人で分けるように言われます。取り分は渡された方が決められますが、相手がそれでイエスと言わなければどちらもお金を貰えません。チャンスは一度きりです。
自分がお金を受け取る側でゲームを参加したとしましょう。「私が800円もらうからあなたは200円ね」と言われたらどうでしょうか?。私はちょっと嫌だなと思ってしまいます。この本ではドルの例で2ドル以下の提案は約半数がお金を受け取ることを拒否するという研究結果が紹介されています。
ゲームの説明の後(研究結果はまだ知らされていない)にその場で「はい」というだけでお金が貰えるということが説明されるが、私は説明を読んだ段階で上にも書いたように受け取るのは嫌だと感じてしまった。自分が200円受け取って相手が800円を受け取るくらいなら、0円でいいから相手にもお金を受け取らせない選択肢を取る。これは悪意なのではないか?ということから始まる。
正直これくらいの理解である。最後通牒ゲームは確かに、と思った。自分は得をするはずなのに受け取りなくない。しかもこういう行動を取るのは人間だけであり、チンパンジーを相手にバナナで同じような実験を行ったが悪意は現れなかったことも紹介されている。
ここからはぽつぽつ気になった所を書いておく。
・競争社会にいる人程、悪意を持つ傾向
単純に誰かを蹴落とさなければ上にはいけないからと理解した。これは直感的にも分かる。
・人は悪意を持った時にはコストをかけたくない。
なるほどな~と感じた。ちょっとの小言なら直接言ったりもするが、極端なことは噂程度で流して本人から自分が思うような行動を取ってもらうように仕向ける。人間関係がこじれる定番としても噂話はよくある。インターネット上ではこれが顕著で実名を出さなくても相手を罵倒できるのでコスパのいい悪意とも取れる。
・政治的にも悪意は利用される
本書の1つの章として書かれている。アメリカ大統領選挙やイギリスのEU脱退。どっちも意地の張り合いのように読めたが、学校などで起きていることもスケールを上げれば社会を動かす。そういう解釈をした。
・悪意はアイデンティティを守るためにも使われる
宗教的な問題や自分と関係の近い人(夫婦、親、親友など)で使われる。その人や自分の価値観を守るためなら他人を蹴落とす。ここは難しい問題だと思った。どちらも自分の信じる正義のための行動だからだ。自分がしたことも後で振り返ってみると正気の沙汰ではなかったと感じることはある。それと同じと考えるとどちらも責められない。
こんなところで。
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