ADHDママの双子育児体験:育てにくいASD傾向の双子が国立大医学部に進学した成長記録
私には、一卵性の双子の男の子がいます。幼い頃は頻繁に癇癪を起こしては延々と泣き続け、本当に育てにくい子供達でした。今思えば、彼らはASD(自閉スペクトラム症)の特性を持っていたのだと感じます。しかし、そんな彼らも今では都内の国立大学医学部に通う5年生です。
この記事では、当時の育児経験を振り返り、親としてどう困難を乗り越えたのか、そして今後の日本の子育て環境に必要な支援について考えていきたいと思います。
虐待との綱渡りの日々
寝不足状態で、深夜にひとりぼっちでの夜泣き対応は、まさに精神修行。まともな判断力が失われ、子供の強烈な泣き声が、まるで親としての自分の価値を否定されているかのような被害妄想まで生まれてきます。
「もぉいい加減にしろーーー!」
と子供を放り投げたくなる衝動を、いつもギリギリのところでこらえている感じでした。
という恐怖を感じ、窓付近で子供をあやすことさえ避けるようになりました。
夜中に泣き続ける子をあやしていると、頭がおかしくなりそうでした。夜が明ける頃には、彼らをベビーカーに乗せて外に出かけることが唯一の救いでした。ベビーカーで揺られると彼らは寝てくれ、私も少し冷静になることができました。
成長の遅い双子と終わらない育児ストレス
私の双子は2歳になっても言葉がほとんどなく、学びも遅れがちで、できることがなかなか増えませんでした
夜泣きも多く、寝かしつけに苦労し続けました。また睡眠サイクルを確立するのがうまくいかず、頻繁に夜中に起きては泣いたり、徘徊したりするのです。
彼らが1歳4ヶ月の頃、真夜中に双子が2人でキッチンまでハイ出し、戸棚を開け、米びつをひっくり返し、米の海にダイブして遊んでいた…。
その時私は何かがブチ切れ
パン、パーーン!
彼らを思いっきり引っ叩いた記憶があります。
その後、手がジンジンして、
子供たちは大泣き。
私も大泣きでした…
今だったら、その様子をこっそりビデオに撮って、YOUTUBEかなんかに載せれば、結構ウケたかも。
自分も呆れて笑って過ごすことができたのかな?
でもその頃は、そんな精神的な余裕は全くありませんでした。
非常に内弁慶で、外では怖がって私にくっついたままで、家では暴れ回るという性格に振り回される日々。
育児本に書かれているアドバイスを参考にしても、うまくいかないことが多く、次第に育児疲れと自己否定感が募っていきました。
さらに、双子は体が弱く、頻繁に熱性痙攣を起こすため、痙攣止めの坐薬(ダイアップ)は必須アイテムでした。彼らの成長の遅れと健康問題が重なり、私の育児は終わりが見えない長い戦いのように感じられました
偏食なので、苦労しました。
2歳過ぎまで固形物をほとんど口にしませんでした。
横着な私は、簡単に栄養を取らせるために、毎日野菜スムージーを作って、そればかり飲ませていました。そのせいでカロチンを取りすぎ、黄疸のように皮膚が黄色くなってしまいました。
見知らぬ人からも、
「親が日本人なのに、なんで子供がベトナム人なんだ?」とか
「黄疸が出ている。早く病院に連れて行きなさい」
と言われることもありました。
小児科の先生から
「しっかり咀嚼させないから、言葉の発達が遅れている」
と叱られました。
赤ちゃん用のスプーンを与えても、落として遊ぶだけ。
育児本には『手づかみ食べをさせましょう』って書いてあったので試してみても、食べ物をねんど遊びのようにこねるだけで食べない。
こんな汚くて良いの?
ガラスのコップで水を飲ませると、噛んで割ってしまう。
プールでは水を舐める。
電車を何時間でも見続ける。
ミニカーを並べては寝転がり、車目線で遊びすぎて側頭部にハゲができる。おむつが外れたのも相当遅かったです。4歳くらい?
しつけをしようにも、そんなレベルではなかった気がします。
「子育ては面白い。子供は新しいことをどんどん吸収していくから」
と聞いていたけど、
「うちは全く吸収しないな」
と感じていました。
ついに鬱になる
ついに彼らが2歳を過ぎた頃、私の体に変調が起こりました。身体が鉛のように重い。とにかく重い。でも彼らの面倒を見なくてはならない。もう異常に重くてしんどいんです。
そのうち、「自分の意思に反して自殺しそうになる」という恐ろしい感覚が現れるようになりました。
当時10階に住んでいたんですが、お布団を干す時に10階のベランダから下を見下ろすと、
「ぐわあーーーーぁ」
と地面に吸い込まれそうな感じになるんです。
「うぁあ〜やばい。何だ?今の?」
ハッと我に返ります。
双子をベビーカーに乗せて交差点で信号待ちをしているときに、大型トラックが交差点に入ってくるのを見た瞬間、
「ぐわあーーーーぁ」
とトラックの中に引き込まれるような錯覚を覚え
「うぁあ〜やばいやばい」とハッと我に返ります。
たまに「鬱で遺書もないまま飛び降り」ってケースを聞くことがありますが、きっとこんな感じで死ぬつもりもないのに、吸い込まれてしまったのでは?と思ったりします。
そのうち、食べ物を食べても全く味がしなくなりました。ある日、完全に「砂そのもの」に変わりました。
笑っちゃうほど「うゎ、砂だ!」って感じでしたね。
ここでやっと「こりゃ鬱だな」とわかりました。
うつ病の薬を処方され、多少の改善はありましたが、すっきりしませんでした。 いろいろ検査をした結果、一番の原因は甲状腺機能低下症であることが判明しました。 現在では妊婦の甲状腺検査は一般的になっているようですが、当時はまだ一般的ではなく、診断を受けるまでに病院のあちこちをたらい回しにされました。
【育児相談】「みんなそう」と言われるだけ
児童館の育児相談を受けたり、病院内をたらい回しにされている時も「身体がだるすぎる」と訴えていました。
でも医師や看護師、保健師さんたちから返ってくる回答はいつも同じ。
まぁね。そうなんだけど、何の解決にもならないことを言われて…。
どこに行っても同じことを言われて。
ということは、
なんて、自分のせいにせざるを得なくなりました。
【日本的な間違った理屈】みんながそうなら、心身を壊していいのか?
今ならわかります。おかしいですよね。この考え方!日本的というか…。
全く問題解決になっていません。でも育児真っ只中の時は、「おかしい」って思える心の余裕はありませんでした。
救われた!児童館の「双子の会」
そんな中でも唯一有益だったのは、児童館で「双子の会」を紹介してもらったこと。区内の双子のママたちが子供たちと一緒に児童館で集まったりしていました。ほんの5組くらいの小さな会でしたが、楽しかった。
そこで知った事実は…?
双子のママ5人とも、みんな身体を壊していました。
「私は産後うつ」「私はメニエール」「私は自律神経失調症」「私は偏頭痛」などなどなど…。
本当に「みんなそう」だったのです。
感覚処理障害を伴う自閉スペクトラム症(ASD)だった
今振り返ると、当時の彼らには特別な支援や療育が必要だったんだろうなと感じます。おそらく感覚処理障害を伴う自閉スペクトラム症(ASD)と診断されていたかもしれません。
そんな彼らの現在は、2人とも都内の国立大学医学部の5年生です。自然、小動物、そして子どもたちを愛する優しくて少し変わった青年に成長しました。毎週、私たちの保育園にボランティアで訪れ、子どもたちと遊ぶことを楽しみにしています。
彼らは小学生低学年の頃まで成長が遅れており、発達検査を受けたこともありますが、そんな彼らがどのようにして国立大学の医学部に現役で合格したのか、こちらの記事で紹介しています。
この記事が、似たような成長を遂げているお子さんを持つ保護者の方々、育児に苦労されている保護者の方々にとって、少しでも励みになれば幸いです。
ぜひ、この記事への感想や質問をコメントでお聞かせください!あなたの意見をお待ちしています。