hinata

24歳。感じたこと・考えたことそのまんま。日々の美しさ、生き方を綴っていきます忘れたくないなと思って書きます。

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24歳。感じたこと・考えたことそのまんま。日々の美しさ、生き方を綴っていきます忘れたくないなと思って書きます。

最近の記事

心に余韻がのこる日をつくりたい

家族とGW うちは、比較的仲のいい方の家族だと思う。 そりゃ、長く「家族」というものを続けていれば、介護や誰かの看護など、それなりに家族・親族間でのもめごとの一つや二つはあるが、私からみたらみんな結局のところは愛情深くて、引くとこはひく、親族であっても気を遣うところは遣う、頼るところは頼るなどのつきあいができる人たちだ。 GWは実家に帰り、親戚も多く帰ってきていたことからお正月ぶりに挨拶まわりをしてきた。 24歳にもなったが、帰れば父・母にとっては子どもは子どもなわけで

    • おばぁちゃんの最期-思い出と共に-

      おばぁちゃんが亡くなってから、親戚皆で葬儀やお通夜の準備に入った。 おそらく、私が今まで記憶をしている中で一番親戚で協力した時だったと思う。この準備の時間は、何とも豊かだったなと私は思う。 中村家が神道であったことから、教会長さんや葬儀屋さんとたくさん打ち合わせをしなければいけないことがあった。 長男であるおじさんが喪主となり、次男であるお父さんもそれに協力する。 嫁であるおばさんとお母さんは、家に戻ってきてから神棚の前に眠るおばあちゃんに、次から次へと手を合わせにくる地

      • おばぁちゃんの最期

        11月16日15時30分 おばあちゃんが息を引きとった。 84歳。小さな身体でよく働くおばぁちゃんは、その生涯を終えた。 幸い、祖母の最後に立ち会うことができた私は、お仕事もお休みを頂きながら1週間弱、今のおばあちゃんとの別れの準備や手伝いをした。 この時間は、紛れもなく私の人生の中で大切な時間であり、かつ、遺しておきたいものだと思ったので綴ってみる。 おばあちゃんは、人はこのように死んでゆくのだとその姿を持って綺麗にみせてくれた気がした。 数週間前から、終末期を迎え

        • 平和と世界の感情の総量

          平和でいられる今日が、どれほど幸せなことか。 だれもが大切な人がいて、 守りたい命があって、 信じていることや、考え、主張がある。 「平和」と呼ばれる今日が、いつなくなってもおかしくないことを実感した。 だけど、私は今日普通に出かける。 なんの装備もなく出かける。 日本人の警戒度が薄い、平和ボケと言われればそうなのかも知れないが、それでも毎日何事もないように変わらず、いい意味で鈍感で、無関心で?それゆえなのかは分からないが、一定の秩序を保ち社会が回っているのは、特別な国

          自分を人生の真ん中に置いてみる

          昨日はなんだか東京のキラキラな夜景が見たい気分だった。 やらなきゃいけないことは終わりそうだったので、決めた!と思い高校時代からの親友にラインした。 「夜空いてるよ!明日仕事休み!」 即決だった。突然わくわくが日常の中に生まれて、彼女のお仕事おわりを待って、8時過ぎからお台場にむかう。 なんだかドラマの主人公になったみたいだ。 月曜の夜はひとけは少なくて、キラッキラの高層ビルとレインボーブリッジを独り占めした気分になった。 ギリギリやっていたイタリアンのお店の、生

          自分を人生の真ん中に置いてみる

          都会の変化の中で。

          今日は、最近思うことをつらつらと。 みなさん、こんにちは。お元気ですか? 心身ともに、健やかな日々を送れていますか? 最近、私は正直心があんまり穏やかではない1~2週間でした。 東京は、緊急事態宣言が解除されて、急速に日常が戻ってきています。 あっという間に24時近くまで町が彩られ、コンクリートには朝からコツコツと足ばやにヒールの音が響く。 こんなにも晴ればれとした太陽さんが出ているのに、ランチタイムの都心のお店はどこもまるでベルトコンベアかのよう。ひとりのお客さ

          都会の変化の中で。

          人が「生きている」ということ。

          昨日は、久々にメンタルがへなちょこな日だった。 まわりと比べてしまったり。 うわぁ、自分ももっと頑張らなきゃぁってなったり。 自分は何ができているのだろうか?と思ったり。 そんな時に、久しぶりに参加したリアルでの会議があった。 2ヶ月ぶりくらいに、 大切な人に会った。 三月末から体制が変わったりして、そもそも話すことが少なくなっていた方だった。 何だか分からないけど、姿を見ただけで涙が出てきてしまった。 その場ではばれないよう

          人が「生きている」ということ。

          🌳💡電気を、変えてみた💡🌳

          今日はちょっぴりいつもと違うテイストだけど、なんだか遺しておきたくなったので、ここに置いてみるね。 この機会に自分の「暮らし」について考えることが多い。 コロナが地球からのメッセージであるようにしか私は感じられなくて、自然とともに生きる社会へと促してくれているような気がしてならない。 今、社会が大きく転換点に立っているのだと思う。 前の暮らし 「あぁ、やっぱり無理してたな」 そう感じることが多い。 朝早くに出て、活動して、23時近くに帰ってきて。ごは

          🌳💡電気を、変えてみた💡🌳

          トイレットペーパーの三角

          こんにちは。 今日は、どんな一日を過ごしていますか。 おはよう~って背伸びをしたのかなぁ。 ねむねむ~で顔を洗ったのかなぁ。 どうか、何でもない日常が側にありますように。 今日は、ちいさな「祈り」について考えてみる。 暮らしの中で、なんとなく大切にしてることってありますか? 私は、"トイレットペーパーの三角" トイレに行ったとき、たまに三角に折り畳まれているあれ。 掃除の後とかは自然と折り畳みたくなっちゃうあれ。 何だかちょっと嬉しくなっちゃうあれ。 私

          トイレットペーパーの三角

          白いカーテンとお部屋。

          今日も晴れてる。 あぁ、なんだかここ数日はとても心が豊かで、心に流れ込んでくるものが多い。たぶん正確に言ったら、自分の心の声をくみ取る"ゆとり"が生活の中にあるのだと思う。 気持ちいな~ってベットから起き上がり、窓を開けてベランダで背伸びをしてみた。 なんとなくそのまま部屋に新鮮な空気を流し、熱いシャワーを浴びた。 ふわぁ~~~ 一日の始まりを感じて浴室を出ると、白いカーテンが朝日とともにふんわりやさしく揺れていた。 午前8時半。 普段は、ほとんど家にいない時間

          白いカーテンとお部屋。

          「広さ」の中に。

          書いてみる。 なんだか、文章を綴ってみたくなったから、書いてみる。 最初の記事がこれでいいのかはちょっとわからないけれど、まぁいんだ。 あんまり気どらずに、はじめてみる。 なんだか今日は、変な日だった。 やむを得ない外出があったので、外に出たけど、天気が気持ち良さすぎたので人の少ない道をお散歩ながら帰ってきた。 ちゅんちゅん、鳥が鳴いてる。 木があたりまえのように息をしている。 たくさんたくさん太陽さんからエネルギーをもらったら、なんだか疲れちゃった

          「広さ」の中に。