人が「生きている」ということ。
昨日は、久々にメンタルがへなちょこな日だった。
まわりと比べてしまったり。
うわぁ、自分ももっと頑張らなきゃぁってなったり。
自分は何ができているのだろうか?と思ったり。
そんな時に、久しぶりに参加したリアルでの会議があった。
2ヶ月ぶりくらいに、
大切な人に会った。
三月末から体制が変わったりして、そもそも話すことが少なくなっていた方だった。
何だか分からないけど、姿を見ただけで涙が出てきてしまった。
その場ではばれないようにぐっとこらえていたけど、本当は逃げ出したいくらいだった。
LINEとかではちょこちょこ連絡はとっていたのだけど、少し疎遠になっていた人。
大切な人が
「確かに生きていること」
「変わらずにいること」
それだけで、こんなにも安心して、心がじんわりするのだなぁと思った。
涙が溢れてしまうのだなぁと思った。
「幸せ」という言葉では何だか形容できないものなような、もっと重みがある、混じり気のある、そんなものな気もする。
やっぱり、当たり前って奇跡だ。
日常って奇跡だ。
人が「生きている」というだけで、
それはすごいことだ。
こんなことを友人に話してみたら
「ひなたってすっごい当たり前のこと言うよね。」
って言われたけど、このことを「当たり前」と受けとれる彼もまた、なんて素敵な人なんだろうと思った。
こういう感覚を、忘れちゃいけないと思う。
最後に、是枝監督の映画「海よりもまだ深く」で好きなシーンの言葉を置いておく。
(歳を取ったみかんの木を見ながら)
『花も実もつかないけど、何かの役にはたってんのよ。きっと。』
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