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おばぁちゃんの最期-思い出と共に-

おばぁちゃんが亡くなってから、親戚皆で葬儀やお通夜の準備に入った。
おそらく、私が今まで記憶をしている中で一番親戚で協力した時だったと思う。この準備の時間は、何とも豊かだったなと私は思う。

中村家が神道であったことから、教会長さんや葬儀屋さんとたくさん打ち合わせをしなければいけないことがあった。
長男であるおじさんが喪主となり、次男であるお父さんもそれに協力する。

嫁であるおばさんとお母さんは、家に戻ってきてから神棚の前に眠るおばあちゃんに、次から次へと手を合わせにくる地域や身内の方々にお茶出しをして話し相手をした。私もそれを手伝ったりした。


「昔ながらの風習。」
「古い風習。」


と片付けてしまえばそれまでだけど、こうして亡くなった個人を悼み、最後の姿をと次々に人々が手を合わせにくるのは、おばあちゃんが人に尽くして生きてきた証のようで、私はとてもとても大切な文化であると感じた。


私はいとこと伯叔祖母(祖父のお姉さん)と一緒に、お葬式の時に奉納する榊を200個分つくった。こうして親戚で作業をし合うなんて、もう何度もないだろう。何を話すわけでもないけど、おばあちゃんとのお別れのために協力しあっている時間は豊かに感じられた。


こうして、昔の人は家族や地域で協力し、社会を築き、
お互いを気にかけあって暮らしてきたんだろうなと思う。


次々に訪れる方がおばあちゃんのとの思い出を話していくのを聞いていると、「本当によく働く人だったのよ」という声をたくさん聞く。


私が知らないおばあちゃんの外での姿や、さまざまな方との関係を知り、おばあちゃんの人生がかたち創られていくように感じた。


私は、葬儀の時に流す映像作成の担当になり、数日かけておばあちゃんのありとあらゆる写真を引っ張り出して選定をした。


「こんなの出てきた!これ、お父さん?」
「何歳の時? 若い〜!」


などと言いながら、私が生まれるよりもずっと前のおばぁちゃんの人生を辿る。分からないことがあるとおじいちゃんに聞いて、思い出話を聞かせてもらう。

結婚する前のおばあちゃん
新婚旅行
長男が生まれた時のおばあちゃん
集落の人たちと海外旅行に行き楽しんでいるおばあちゃん
孫の世話をするおばあちゃん


84年の人生が、ぎゅっと凝縮されて一緒におばあちゃんの人生をおくっているような気持ちになった。

数週間前から私の頭を巡っていた、「おばあちゃんにとって、幸せな人生だったのだろうか」という問いは、色褪せた写真たちが少しずつ教えてくれているようだった。


84年も生きていれば、大変なことの方がきっと多かったのだろうし、
嫁に来て若いうちから免許を取って勤めに、商店、農業、集落や家の仕事にと本当によく働いたおばあちゃんであったから、気苦労もたくさんしたんだと思う。


本家・長男の嫁であったことから、義父・義母の介護もあったそうだし、年末年始になると親戚一同が集まり宴会だったそうだから、それを商売をやりながら回すのは本当に大変そうだったという話も聞いた。


当時求められていた役割を懸命にこなし、働いたおばあちゃんを素直に尊敬する。


おばあちゃんが自分から「これをやりたい」など望んでいたのは聞いたことはない。そうしたことを考える暇がないくらい忙しかったんじゃないかなと思う。


明らかに、2000年代を生きている私たちとは、
人生の条件が全く違ってきたのだなと感じた。


女性の人権がなかったとか、そういう話の以前に、
嫁に入って、家に尽くし地域に尽くし、そうした人生が当たり前の時代であったのだろう。


それが別に間違っていたとも思わない。


だが、確かにおばちゃんの時代よりも、私が生きる今の社会は、個人の「やりたい」を望め、選択肢が多くある社会だと感じた。
これからの私たちは、何を守り、どう生きていくのが良い人生だったと思えるのだろうか。


お通夜前日、おじいちゃんが言った言葉が忘れられない。


「今日は、おばあちゃんと最後に過ごす夜だからな。おれの布団を横に引っ張ってきて、一緒に寝るわや。」


愛していたとか、そんな言葉はおじいちゃんからは聞いたことはない。おそらく今後も聞かないだろう。だけど確かにおじいちゃんにとっておばあちゃんは、紛れもなく60年一緒に連れ添ってきた一番大切な人であり、たった一人の大切な妻なんだろうと思った。


翌朝、昨日一緒に寝たの?と聞くと、そうしたとのことだった。
寝る前にいつも食べてたヨーグルトを一緒に食べ、
「おまん、もう横で寝らんなくなるんだぞ〜」なんて言いながら過ごしたそうだ。「上向いて寝たら、痰が絡むねかぁ。」と介護が必要になったおばあちゃんと話していたことなども、思い返したそうだ。


いつも、当たり前にそばにいた大切な人が最後を迎える時、私たちはどんな気持ちになるのだろうか。

おばあちゃんが亡くなってから数日間、一緒に過ごせたこと、
家族で協力できたことは間違いなく私にとって大切で忘れない時間となった。

出棺の時、玄関には雨天で週初めだというのにも関わらず、20人ほどの地域の人たちが最後の見送りに来ていた。


プーーーという音と共に手を合わせる人々。
多くの人から見送られ、おばあちゃんはきっと幸せだったと思う。


「人が死ぬときは、忘れられたとき」


そんな言葉を聞いたことがあるけれど、おばあちゃんがのこしてくれたものは確かに私の胸の中にあって、家族の中にある。


かけがえのない時を一緒に過ごせて、本当に幸せだったよ、おばあちゃん。
どんな風に生まれ変わったとしても、また、家族であれたらいいな。


若かりし私とおばあちゃん










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