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読書記録| 『いい音がする文章』を書きたくなった
『いい音がする文章』(高橋久美子 著/ダイヤモンド社 刊)を読み始めた。ドラマーだから、と単純には言えないが彼女の文章はリズムがいい。うん、そうだよな、と頷きながら読み進める。
もともと僕も文章を書く時にはリズムを気にしているけれど、それは半ば無意識なものであって、なんとなく気持ちがいい方を選択する、という感じだった。noteに投稿する記事は「です、ます調」にしているのだが、リズムの点で言えばこうした「だ、である調」の方が優れていると思う。それで語尾に「です、ます」が続いた時には意識的に体言止めを入れたり、「だ、である調」を入れることがある。ちょっとテンポを変えて、緊張感を与えたり、速度を上げたりするためだ。
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高橋さんの文章では時折東予弁を混ぜることで文体を柔らかくし、人柄を滲ませている。方言を取り込んだ文体というのはかなりハードルが高い。中島らもや町田康のような関西弁の書き手は一定数いるが、そうでないマイナーな方言を嫌味やけれん味なく取り込むのは難しい。僕は尾張地方の出身なのだけれど、25歳で上京してから話し言葉でも使っていないので、文章に入れるとわざとらしくなってしまう。たとえばここは「わざとらしくなってまうでかんわ」となるけれど、普段そんなふうに話していないから誰か別の人の言葉みたいに聞こえる。僕の「ヴォイス」ではないと感じる。
いま、無意識に「聞こえる」と書いてしまったが文章に対して聴覚であるはずの「聞こえる」を使うのはこのときに文章を「音」と捉えているからなのだろう。音読を前提としているわけではないけれど、方言というのは話し言葉であるという思い込みが僕の中にあるに違いない。方言にはたしかに文章に「音」を与える力がある。そういえば大阪弁を多用した文章は面白いが、時にちょっとうるさい。特にこちらにエネルギーがない時にはきつい。距離を詰められすぎるし、圧が強すぎる。そう感じる。
読点の打ち方もまた、文章に与えるリズムを調整するのによく使われる。20代の頃、村上龍の小説を集中して読んだのだが、後半のクライマックスに近づくにつれ次第に読点を排して文章の速度をどんどんどんどん上げていく過剰なその手法に驚きつつも没入した時に彼は句点さえも省くことで限界まで速度を上げ既存のシステムが制御不能となったカタルシスを自他地検として描き出してみせた—————————。←こんな風に。
彼はとても意識的に文章のリズムを整え、加速し、収束させるという技法を使っていたけれど、当然ながら優れた書き手にはそれぞれの固有のリズムや音がある。もっとさりげなく、心地よいリズムを奏でる人も多い。
著者はドラマーであるとともに作詞家でもあるので、言葉をメロディに乗せるという作業を繰り返し行ってきたのだろう。この経験は普通の人にはなかなかできないことだ。曲が先にある場合はその曲調やリズムによって言葉が制限されるし、詞が先の場合でもリズムを無視した作詞はしないと思う。おそらく洋楽ベースなら4拍子のビートを意識するし、日本語歌詞なら7・5 調に整えたり意識して外したりする。そうしたものがきっと彼女の文体を支えている。そう言えば松本隆もドラマーで作詞家だが、別に文体が似ているわけではない。ドラマーで作詞家であることに対してつい意味づけをしたくなるが、それは短絡的だろうか。そのくらいリズムやメロディを意識して文章を書いた方が良さそうだ、という程度に留めておく。
最近、Audibleで小説や詩を聴いている。そうすると、より一層文章のリズムが気になってくる。この語尾はちょっと引っかかるな、とかいい言葉を選んでるな、とか。文字を追うときとは違った感覚で文体を感じることができるので面白い。
そんなわけで、今日こうして、いつも以上にリズムやメロディを意識して文章を書いてみると、なんだか楽しい。とくに言葉選びについては、制限がかかるというよりよりかえって視野が広がりそうな気がしている。いい音のする言葉を探したくなる。
もうひとつ、僕が文章を書く時にはビジュアルも気になってしまう。漢字にするかひらがなに開くか、というのはもちろん意味合いから判断することもあるけれど、それより漢字が続きすぎるからかなを挟もう、とか逆にかなが続いてかっこ悪いから漢字を入れよう、という具合に字面から決める。ただ、これをやるとある言葉について一つの文章の中で複数の表現が混在してしまうことがある。「今」と「いま」とか「例えば」と「たとえば」のように。これはどちらを優先するかという問題だけれど、今のところ僕は見た目を優先しているかな。※この場合は「今」です。
こうして文章を書くことについて新しい視点ができたことはとても嬉しい。この本を読んで「まだ読みかけだかけだけど我慢できなくて紹介します」という書評がSNSに溢れるという興味深い現象が起きているのも頷ける。僕もいま、まさにそうなのだ。まだ半分ほどしか読んでないけれどうずうずして書き始めてしまった。この本はいわゆる「文章を書くためのハウツー本」ではない。即効性を求めるマニュアル本ではけっしてない。でも優れた文章が「文章を書きたい」という気持ちを発火させる。そういうことがあるんだな、と実感した。
読みたい人も、書きたい人も、読みましょう。僕もこのあと続きを読みます。
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