旅先での「世界」との出会い(#001:『暇と退屈の倫理学』)
100円でユスクキュル
この本は、前職の職員旅行での旅先の小布施の土産屋で購入した本。
まさかの100円で購入しました。
内容や概要は、Amazon等でご覧頂くとして。
この本で知れたユスクキュルって生物学者さんの
「環世界」って概念について少し触れたいと思います。
私たちは同じ「世界」に住んでいるようだけど、
いや、同じ「世界」に住んでいるんだけど、
「私の世界」と「あなたの世界」は同じではない。
そんなことを考えると、いろんなことが見えてくるんじゃないかな…
後々によく読んだら…
敬愛するフランクル先生の本の中にも紹介がありましたが、
この本を読んだ一番の収穫は、
前述のとおり、
ユスクキュルって生物学者さんの
「環世界」って概念を知れたこと。
ダニの住む森
ダニは森に住んでいるけど、我々人間が想像するような、
木があって生き物がいて水があって獣道ができていて…
っていう森には住んでないそうです。
人間が「森」って呼ぶ世界には確かにダニは存在しているんだけど、
ダニが生きてる世界は…
・酪酸の臭い
・37度って温度
・血を吸うにあたっての障害物(動物の体毛)
だけしかない(あくまで繁殖期の話だそうですが、
それでも「生物」にとっては最重要な時期ではあります)。
木も木漏れ日も動物さえもない…
正確に言えば、
あるんだけど、ダニは認識していない。
認識していないってことは、無いのと変わらない。
こういう思い込みって、
対人支援職が持ちやすい思い込みなんだろな…。
という印象を抱きました。
自分から見た世界と
他人から見た世界が違うっていう発想を持ちにくい…
自殺で失う「世界」、自殺で損なう「世界」
SCをしていた時も、前職でも、
思春期の女の子から言われたことがある。
――私ひとり、いなくなっても、誰も困らない――
――何も変わらない。たいした影響はない――
それに対して
伝えた言葉は・・・内容は…
このユスクキュルの「環世界」的なものだった。
当時はどちらも知らなかったけど。
世間一般的な「世界」に大した影響を及ぼしていないのは、
誰もかれもたいていそう。おれもそう。
でも、おれにとっての「世界」があるように
きみにとっての「世界」がある。
きみの周りにいる人の「世界」はものすごい衝撃を受ける。
物凄い喪失で、物凄い損失。
おれはおれのことしか断言できないけど、
こうやって話す機会を得ることができた目の前の子どもが、
おれの目の前から、最も望まないかたちで姿を消すなら、
おれの「世界」は物凄く困るし、物凄く変わる。
「後悔」という影響が一生残ると思う。
そもそも、きみの「世界」がなくなってしまう。
きみの「存在」がなくなるということはそういうこと。
そんなことを伝えた。
わたしの「環世界」
そこで考えてみる…。
その「環世界」。
自分の「環世界」はどうなっているだろう。
どんな構造だろう。
たしかに、地球は丸くて、いろんな国の色んな場所がある。
それは「知識」としては知っているけど、
行ったことのない場所、見たことのない場所がまだまだたくさんある。
むしろ、そんな場所の方が多い。
南の島も
極地の氷山も
近未来のオフィスビルも
野生の草原も
太古の遺跡も
宇宙の彼方も
深海の底も
「歴史」が眠る博物館も
「現在」が輝く競技場やコンサートホールも
「未来」が生まれる企業のオフィスも。
メディアを通して自分の目に入ってきてはいるけど。
未体験ならフィクションと変わりがない。
たしかに、この地球で、この日本に、どこそこの…ここに住んでいるけど、
入ったことのないドアの向こうが、本当はブラックホールでも、
行ったことのない土地が、実はA4用紙のように何もなくても、
「確認できない」ならば同じこと…。
「地図」を書く
つまり…
「環世界」の「世界地図」は、「私の世界」の「全貌」は、
「行ったことのある場所」や「なじみのある場所」でできている。
白地図を塗りつぶしてみて、塗れたところが「私」の世界。
たまにしか入れない場所がたくさんある。
昔なら入れた場所もまあまあある。
もう無くなっちゃった場所もいくつもある。
入っちゃいけない場所もかなりある。
「関係者以外立ち入り禁止」
「STAFF ONLY」
幽霊が「お札」を見た時はこんな気持ちだろう。
突破するには「関係者」になるしかない。
でも、
これから行ける場所も可能性として無限にあるね。
行っていい場所なら、
できる限り行ってみたいね。
だから、「旅」って素敵なんだね。
この本との出会いも「旅」だったしね。
「環世界」を拡張していく行為。それが「旅」。
「未知の世界」はそこらじゅうにあるね。
地球の裏側も
月の裏側も
あのラーメン屋さんも
あの喫茶店も
「未知の世界」。
「私」と「あなた」で一緒に行けたら、
3つの「世界」が重なるのかな?
そうそう。
「層」が違うけど、
「人間関係」も「心の中」も
ある意味で「環世界」です。
思春期の女の子との会話はそういうことだよね。
これはまた、機会があったら。