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愛に満たされる、喜びに満たされる、幸せに満たされることについて
私たちがフォーカスしていくべきは問題があるところ
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践のそのプロセスにおいて、
愛に満たされる、喜びに満たされる、幸せに満たされる、
といった体験をするときがあります。
ただし、コースの学習者である私たちが知っておかなければならないのは、そのような体験は単なる体験でしかなく、それが目覚め(実相世界)へと導くものではないということです。
まだコースの学びが浅かった頃の私もそうでしたが、平安や愛に満たされる体験や幸せな体験が善きこと、素晴らしきことだと思っていましたし、その体験を重ねていくことが目覚め(実相世界)に近づいていることを証明するものだとばかり思っていたのでした。
でも実際に、コースの学びが深まっていくにつれて、そうではないということが分かってきます。
コースはたしかに真の平安と真の幸せに至るための道ではありますが、そこへ至るための実践は私たちが考えているようなものではないということです。
なぜなら、私たちが目指しているものとは、「幸せ(ハッピー)も不幸せもどちらも同じ」という二元性を超えた視点へと至ることなわけですから。
「幸せ」を善きものとして、そして「不幸せ」を善くないものとして見ているなら、二元性に囚われた状態になっているということです。
そのような見方をしているがぎり、私たちは二元性を超えた視点を見出すことは不可能だということです。
あくまでも、コース学習者である私たちが目指しているものとは、「幸せ」「不幸せ」という概念のない視点、つまり、正しい心(聖霊)の視点を完全に思い出していくことであるわけです。
ハッピーであろうがなかろうがどちらも同じ(無意味)という視点(心の決断の主体)へと立ち戻っていくことが私たちには求められているということです。
そして、その実践手段が「赦し」なのだということです。
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コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学びと実践を通して、非二元、真理、悟り、解脱を目指しているコース学習者のためのマガジン。
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