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ネガティブに名付けない、まとめない。

…ように、気を付けている最近。

例えば、10日ほど前から、気分が落ちていたとき。

「私の能力では、収入につながることなんてないんだ」
「地域の居場所づくりも、誰とどう形にして良いかわからないし、結局私にできることなんてないや」
「理想ばっかり先走ってちゃってるけど、自分、全然そんな器ないじゃん」

そんなことをぐるぐる考えて、泣きたくなるような、ずっと布団で寝ていたいような気分だった。

おそらくこれは一時的なもの・・・すぐにまた復活するさ、とどこかでわかってはいても、自分の存在や可能性を否定する心の動きに、疲れていた。

そんなときに、

「私は自己肯定感が低いからな」
インナーチャイルドが癒えていないからかな」
「そもそも自信がない人間だしな」
みたいなことを、思わないように気を付けていた。少し前までは思っていたような気がするのだが。

そう決めてしまえば、そういうふうにしか思えなくなりそうだし、さらに立ち上がれなくなりそうで。

そして、そんな気分の落ち込みから少し脱してきた状態の今、そう決めつけなくて良かったと思う。

「何かできることがあるはずだし、落ち込む自分もなかなか人間らしくて可愛い」と思える私は、自己肯定感が低いとは思えないし(むしろ図々しい)、

幼少期には誰でも何かはあるだろうし、捉え方でどうとでもなりそうだし、

自信がない部分もあるけど、自信がある部分だってある。全てにおいて自信のある人間なんて逆に魅力ないか、と思ったり。

そんなふうに考えているうちに、
自分の状態を、好意的な目で見てあげられるようになってきた気がする。
これは慣れというか、考え方の訓練次第なんだな、きっと。

「やる気がない」
→やる気がないわけじゃないでしょ。
むしろやる気がありすぎて、先のことを考えすぎてしまったね。少し休もう。

「何をやってもダメだ」
→やりたいことが多いからだよね。
1つ1つ、少しずつやるっきゃないね。

「理想が空回りしてんなー」
→そりゃ大きな理想があるもんね。今は理想と妄想広げまくるときだ。

という感じで、
自分の状態にネガティブな名前をつけないことで、自分をいたわり、慈しむことができるようになってきたような感覚がある。

8ヵ月前には、
「人から名付けられたくない」という拒否感を綴っているが、今は、自分が自分をどう見るかがいちばん大切だということに気づいたんだな、私。


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長橋 知子
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