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【ネタバレ注意】『最後まで行く』二人分の感想|映画は映画館で観るからこそ面白い!



 先月、地元テレビ局主催の『最後まで行く』試写会に応募した。きっかけはテレビ局のHPを見て面白そうだと思った軽い動機で、内容について全く知らなかった。
 当選ハガキが届いてから改めて作品について調べてみると、製作幹事として日活が携わっており、東海地方でロケが行われて舞台も愛知県であると知って興味を持った。

年の瀬も押し迫る12月29日の夜。
刑事・工藤(岡田准一)は危篤の母のもとに向かうため、雨の中で車を飛ばす。工藤のスマホには署長から着信が。「ウチの署で裏金が作られているっていう告発が週刊誌に入ったが、もしかしてお前関わってるんじゃないか?」という署長の詮索に「ヤバい」と血の気が引く工藤は、何とかその場をやり過ごしたものの、心の中は焦りで一杯になっていた。そんな中、妻から着信が入り、母が亡くなった事を知らされた工藤は言葉を失うが、その時、彼の乗る車は目の前に現れた一人の男を撥ね飛ばしてしまう。すでに彼が絶命していることが判ると、狼狽しながらもその遺体を車のトランクに入れ立ち去った。

最後まで行く | 映画 | 日活

 おそらく試写会に来た方は、監督や出演者さんのファンが多かったと思うので、違った視点から感想を書いてみようと思う。

109シネマズ名古屋『最後まで行く』ポスター



◇日活映画ファンの自分から観た『最後まで行く』

○「”ここではないどこか”への脱出」の象徴”砂漠の蜥蜴”

 映画の肝となるのは”砂漠の蜥蜴”、何度も台詞に出てくるワードである。 よく日活アクションには「”ここではないどこか”への脱出」というテーマがあると語られる。
 例えば石原裕次郎の『俺は待ってるぜ』赤木圭一郎の『拳銃無頼帖 明日なき男』が有名である。

 宍戸錠の代表作『拳銃は俺のパスポート』では、”だるま船”、”トンネル”、”死にかけの蠅”という三つの「”ここではないどこか”への脱出」の象徴が登場する。

・だるま船…港町に囚われたヒロイン
・トンネル…「逃げられない」というヒロインと「必ず生きのびる」という主人公の対比
・死にかけで飛んでいく蠅…窮地に追い込まれながらも「必ず生きのびる」という主人公の未来を暗示

 このような象徴が『最後まで行く』では”砂漠の蜥蜴”である。すなわち犯罪や汚職で腐った街を”砂漠”、そこで燻る男たちを”蜥蜴”に例えられ、彼らの目的は”街からの脱出”である。そのためには金が必要だ、とそそのかされて犯罪に手を染めていく訳だ。
 日活アクション映画の”アクション”とは、殴る、蹴る、撃つ…映画用語で言えば殺陣や擬斗を意味するだけではない。何か目的があってそれを成し遂げる、乗り越えるための行動を起こす意味での”アクション”なのだ。


○「個人間で始末して個人で終わっていく」アクションシーン

 上に関連して、本作の見どころのひとつはアクションシーンである。先述の『俺は待ってるぜ』を監督した蔵原惟繕は、日活アクションは「個人間で始末して個人で終わっていく」と語られた。

 本作の工藤や矢崎は後ろめたさを抱えて嘘、犯罪、汚職を重ねていく。そのために事件は大々的に広まらず、組織的ではなく、この二人の間で物語は決着する。これが「個人間で始末して個人で終わっていく」という法則のままだ。
 娘を誘拐されて工藤一人で一騎討ちに向かう場面は、西部劇の決闘にも似たカッコよさで特に自分は気にいった。ガンアクションや時限爆弾で戦うところなんかも『拳銃は俺のパスポート』を連想させる。


○まとめ①果てしなく続く戦い『最後まで行く』

 取り返しのつかない汚職や犯罪の積み重ねや、あるいは工藤と矢崎との戦いの結末…それが果てしなく続いていくのが『最後まで行く』というタイトルの意味だった。
 テーマ性やアクションは『拳銃は俺のパスポート』、シリアスな笑い、ハードボイルドアクション、そして狂気に壊れていく様子という作品のテイストを敢えて日活映画で例えるならば『殺しの烙印』が近い。

 総括して、(そもそもが韓国映画のリメイクではあるが)配給の東宝映画というよりも製作に関わった日活映画寄りで好みの作品だった。原作の韓国映画も機会があれば観てみたい。


◇普段映画を観ない母親から観た『最後まで行く』

○絶叫マシン、アトラクションのような面白さ

 試写会には、映画好きな友人と行こうと思ったが予定が合わず、「母の日」のお礼に映画をあまり観ない母親を連れていった。
 驚くことに、普段は「映画なんかに夢中になって…」という母の方が自分よりもハマってしまって家族に布教している。楽しんでもらえてこちらも連れていった甲斐があったものだ。

母の感想
・「ドーン!」という音響が凄い
・前半の遺体のくだり(携帯の着信音とか)が笑えた
・矢崎早くくたばって
・映画の撮り方が上手い

 おそらく母が面白く感じたのは、『最後まで行く』の演出が遊園地の絶叫マシンのような感覚であったからではないかと思う。
 例えば、以下の演出が繰り返し多用された。

・緊張感を煽るスマホのバイブ音
・静寂の間から「ワッ」と驚かせるような大音量
・死んだはずの矢崎が何度も蘇ったように現れ、「まだ生きていたの!?」と驚かせる

 矢崎が何度も現れる流れについて補足すると、

①車が爆発、娘を救った後
②家族とヨリを戻す電話の後

 特に②は工藤と矢崎の2度目の一騎打ち、ガンアクションや泥仕合の後、花火とバックドロップのカットバックで決着がつく。これは、つまり「おめでとう!(=矢崎をやっと倒した)」という意味に取れる。まるでスーパーマリオのゴールした時に上がる花火のようだ。一見シュールな笑いどころなのか?と思ってしまったが、実はラストのミスリードになっていたのだった。

 大音量で驚かせるのは、人によって何度もしつこく感じたり、好みがあったりするので賛否分かれるが、映画館で観るからこその効果的な演出だ。映画をあまり観ない母にとってはテレビでは味わえない映画館だからこそのジェットコースター・アトラクション的な楽しみ方が新鮮だったのだ。


○まとめ②映画は映画館で観るから面白い、だからこそ映画を観ない層へのアプローチが必要

 試写会と前後して、シネコン入場料金の値上げや名古屋の老舗ミニシアター閉館と映画界の苦境を告げるニュースが続いた。今回の試写会の経験から学んだのはやはり“映画”というコンテンツの底力は、実際に映画館で体験しないと伝わらない。

 最近、映画好きや俳優・監督のファンのような層が何度もリピートするような観賞方法、映画会社側もそういった層向けの宣伝キャンペーンが主流になっている(多種類の入場特典など)。しかし、本来は母のように贔屓目の無い一般的な層を夢中にさせる、感動させる事が理想ではないかと思う。

 ミニシアターにしろ、シネコンにしろ、内輪だけで盛り上がって先細りしていく界隈になって欲しくない。その一方で「どうせ面白い映画なんてやっていない」と食わず嫌いする人こそ映画館での映画体験によって考えが変わる可能性も感じている。
 だからこそ、映画ファンだけでなくこうした普段映画を観ない層を新たに取り込むキッカケ作りや努力が大切なのだ。

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