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書評:上田岳弘『太陽・惑星』(新潮、2022)


上田岳弘の話をしたい。私が密かに注目している作家だ。
2019年に『ニムロッド』で芥川賞を受賞した作家であるが、私はこの作品よりも新潮新人賞を受賞した「太陽」という作品の方が好きなのでその紹介である。
友人に誕生日プレゼントとしてあげた内の一冊なのだが、魅力を語るとウザがられるかな、と思ったので、ここに記しておく。
近代文学において、純文学とは「個人の内面を描く」ものだと扱われてきた。純文学に明確な定義はないが、「苦悩」や「葛藤」を描くことが「文学」であるとされてきたのである。それが現代になるにつれ様々なスタイルを含むようになり、村上龍などは「物語を物語ることそのもの」などと言われることがある。この辺りは、非常に難しい部分があるので、研究外のこの場では割愛するが、文学のスタイルというものも、やはり時代に合わせて変化していくものである。
その点で、上田岳弘の「太陽」は個人的に面白いと思う。「個人の内面」でも「物語」でもなく、「現象」そのものを神の如き視点から描く小説が出た、という点で面白い。一人称神視点とも言われるこの視点から語られる現象は、現象であるが故になんの感慨もなく、突き放され、そっけなく、気持ちがいい。特に最後の一文がいい。

「が、太陽のことであれば以上だ。」(p.141)

これまでずっと物語ってきた物語を、この一言で締める呆気なさ。あるいは、作者と物語との距離の取り方というのは、思わず声に出したくなるほどではないか。面白い視点で描かれた新しい感覚の小説だと思う。

また、これがSFっぽい作品だと言うのも面白い。
SFというのは文学の中では傍流だが、まさに最近は色々な分野で注目を集めているジャンルでもある。
メタバースしかり、人工知能しかり、SFは実感を伴って我々の生活と共にある。『三体』が大ヒットしたことに加えて、有名な起業家たちがSFに大きな着想を得ていたことなども大きく取り上げられた。
だが、まだまだSFが直木賞を取ったりすることはないだろうし、ミステリと同じレベルで本屋に大量に並ぶ日は遠い。
しかし、その点が返って、この作品が純文学作品でありながらSFという時代性を如実に感じさせる。それはつまり、娯楽より先に、私たちの生活の方にSFが入り込んできたということではないだろうか。
また、伊藤計劃に似ているようなところもあり、日本SFの系譜を継いでいるなと感じる箇所もある。

これらの点でこの作品は非常に面白いので、ぜひ読んでみて欲しい。

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