エマの走り書き vol.3 『MBTI』
MBTI
昨今流行っている性格診断というのがある。MBTIだ。たくさんの質問に賛成か反対か答えて16パターンある性格のどれかに振り分けられるのだ。
とあることがきっかけで、このテストの危うさに気づいた。より正確に、詳しく、性格を分類しているこのテストだが、ひとつ疑問に思ったことがあるのだ。MBTIの診断における理想と現実である。
この性格診断の質問は、賛成か反対か答えるもので、その答えの段階(賛成か反対の度合い)も選べるようになっている。(以下参照)
このように、分からなかったら真ん中を、強く賛成するなら一番左を、強く反対なら一番右を選ぶのだ。
私はもともとINFPだったが、大学に行き始めたのが理由か英語を上達させたのが理由か、INTPに変わった。この一つ一つの性格はアルファベット4字で表されるが、一つ一つに役職のような名前もついている。例えばINFPは仲介者、INTPは論理学者、という具合にだ。
さて、この診断の危うさの話なのだが、なぜそう思ったのか?きっかけは友人との喧嘩だった。彼女は私の新しい性格と同じ、INTPの診断結果が出た人だった。その結果に満足していたようだったし、嬉しそうに『私は論理学者なのよ』と言われたことを今でも覚えている。確かに彼女は客観的に考えること、論理的に考えることを重要視しているがファンタジー性も同時に大事にしていている、そんな人だった。しかし些細なことで口喧嘩をした際、その喧嘩がなんの実りもなく、なぁなぁになって終わってしまった。私は喧嘩したことよりも、そのなあなあな終わり方、なんの解決にもつながらなかったことに正直腹を立てた。解決のために頭を捻らせて、解決策を模索した。なぜなら人間関係を構築するには必ず必要なことであるからだ。彼女はINTPだから、彼女は私がこう言った時にこんな表情を見せていた、などありったけの情報や記憶を頭の奥から引っ張り出して考えた。しかしなんの解決にもならなかった。一方通行だったからだ。
その結果思い立ったのが、本当に彼女の性格はINTPなのか?ということだった。ここで彼女の本当の性格を論議したいわけではない。これはほんのきっかけに過ぎない。
一つの疑問を抱いてから再び性格診断をして感じたのだ。主観的で強情で自身の考えをなんの裏付けなく信じきっている人がこの診断を通して出す結果は果たして真の結果なのだろうか。
今一度質問を見ると、全て客観的な質問に基づいている。強情な人ほど本人の望む性格結果が出るのではないか?なぜなら自身をそういう性格だと信じることができるから。通常自分自身をなんの裏付けなく信じ切ることができるのは、失敗したことがない人間か、失敗を繰り返して客観的に捉えることができるようになった人間か、ただ強情で人の話に耳を傾けない人でないだろうか。主観的な人間ほどさらに、この性格診断は本人の理想性格結果を見せてくれる。理想そのものであるから、短所に気付きにくい。気付きにくいということは視野が狭まるのだ。まさに負のループである。
そこで、私は『こうでありたい!』という理想を掲げて、テストを今一度やってみた。彼らが教えてくれたのはENFJ、主人公性格だった。100%外向型の、計画的で、感情と思考のぴったり真ん中を選ぶことのできる性格だ。カリスマ性があって、共感力がある、社会の人気者だ。こんなの私の性格ではない。笑ってしまった。どうやら私自身がこの性格診断に傾倒し過ぎていたようだった。
親しい友人にMBTIを聞いたことがある。なぜならその友人はつかみどころ頃がなく、何を考えているのかわからにくい人だったからだ。MBTIを聞いて少しでもその人のことを知ることができたらと思ったのだ。これを機に、まずこの考えが主観的で、驕りで、恥ずかしいことだった、と気づくことができた。たった16種の性格に性格が分類できたら、もっと情勢は平和的だったし、どこかのタイミングで人間は滅亡していたかもしれない。
小説にはたくさんの人間が登場する。書き手の観点からいうなら、他人を理解して、へぇそんな人もいるんだ、と理解することが作品の内容を厚くさせることにつながると思う。だからMBTI診断に傾倒したことは良い事だった。
母にこの話をしたら、INTPという結果が出た要因の一つじゃない?と言われた。
人間は面白い。自分は面白い。文字通り自分の頭の中身が覗き込めるなら、きっと中身はぐちゃぐちゃで、散乱しているが、そのひとつひとつが素晴らしいものであるはずだ。