地方公務員入庁1年目で療休と年休をすべて使った話 #2
こんばんは。ヤマタツです。
前回(地方公務員入庁1年目で療休と年休をすべて使った話 #1|ヤマタツ #note #私の仕事 https://note.com/absol_yamaguchi/n/n8b6fa356b832)から随分時間が経ってしまい、申し訳ございません。繁忙期には敵いませんね。
さて、前回からの話の続きになります。
病名を伝えられ、療養の身となった私を上司は職場に呼び出しました。
職場へ
翌日、私は震える身体とはち切れそうなほど心拍数の多くなった心臓を抱えながら、言われるがまま職場へ向かいました。
ここで、行く必要はありません、ときっぱり言えるのでしょうけど、その時の私にはそのような精神、思考はありませんでした。
職場に着き、他の職員に声もかけられずジロジロ見られながら、上司の元へ行きました。
別室を案内され、面談という名の尋問が始まりました。
面談
「なぜ、こうなったのか?」
まず、上司はこう言いました。
「仕事の量が多すぎて耐えられなくなりました。」
「どの仕事がしんどいんだ?」
正直、すべての仕事がしんどかったです。そして、仕事がしんどい中でも適切な指示をしない上司そのものがしんどかったです。でも、
「〇〇業務と〇〇業務です。」
「そういえば、その業務、〇〇に資料送ってなかったよな??あの後大変やったんやからな。ほんまはお前連れて謝りに行こうと思ってたんやぞ。」
この期に及んで、叱責されました。もう、頷く元気、反応する気力もありません。
その後の詳しいやり取りはあまり覚えていません。
1ヶ月の療養をすること、他の仕事は課の人で分担することのやり取りを1時間ほどしたように思います。
最後に上司から「言いたいことは?」と聞かれましたが、「ありません。」と答えました。
今なら「お前の指示能力の低さがこの結果をもたらしたんだよ!!」とでも言えるかもしれませんが、当時は到底不可能です。
帰路
そして、私は職場を後にしました。庁内で誰かに会うのも嫌でしたし、もうこのまま帰りに死んでしまおうかとも思いました。
今となって、その時死ねなかったのは、何かまだ希望を抱いていたのかもしれませんね。
そんな希望、何も無いのに。
最後に
現在の公務員社会にも、このような人はいます。パワーハラスメントをいかにも自分は指導、アドバイスをしているという名目でしてくる人が。
ホワイトを求めて公務員になろうとしている人は注意してください。このケースは珍しくはありません。恐ろしいのは「どこにでもいる」ということです。
公務員、特に地方公務員を志願されている方、もしくは同職の方はこのようなことにならないことをお祈りいたします。
今回は、この辺りで失礼します。次回は療養中どのように過ごしたかを書こうかと思います。
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