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無常観 無常感

無常を
その徹底による透明な境涯(仏教的)から描くには
和歌よりも発句がふさわしい。

崖転落事故以降
常に手足が痺れていて
歯の安定度も悪い自分は
その透明感の表現とは違う関心が増した気がする。

老いの悲しみやはかなさと無常が結びつき
生の一瞬一瞬の耀きやその回顧などが強くなって
仏道よりも
日本的な文芸に傾く趨勢。

そうなってくると、発句よりも和歌に親しむ気持ちも増した。
西行などは、今言ったふたつの面を併せ持った和歌を詠む人だと思う。
もっとも意は十代のときから解していたけれども、
その味わいが沁みるかどうかという話をしている。

つまり、本当にジジイになってきた。(-_-;)

桜は両方の面から、
日本の文芸において、大事な役割を果たしてきた花だ。

ひたすら透明でひたすら歓びも悲しみも駆け抜ける
モーツアルトのような発句、和歌、詩、小説、エッセイ、評論を
書けるだけ書いて死にたい。

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長澤靖浩
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