長澤靖浩
詩宇宙にポエジーのない箴言を入れるのを改めて、箴言マガジンを新たに作りました。
既発表の私の作品をまとめていきます
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虚無と自由は同じひとつの真実の陰と陽である。
ただ手足が痺れているだけで弱さの感覚が持続するのは何故だろう。 今まで車椅子に乗っていてもなかった。段差に対しては自分の弱さではなく、社会の不当性や、人に助けを求めることができる自分の強さを感じた。 障碍は外にあり、私にはなかった。 だが、今、手足が痺れていて、頚椎の異変によりいつ寝たきりになるかわからない自分には弱さの感覚があり、書き残す仕事は急がなくてはと、ただそう想う。 だが、痺れていても、まだ動ける、書けるというのは、やはり強さの感覚でもある。 天の河岸辺に寄せる波
無常を その徹底による透明な境涯(仏教的)から描くには 和歌よりも発句がふさわしい。 崖転落事故以降 常に手足が痺れていて 歯の安定度も悪い自分は その透明感の表現とは違う関心が増した気がする。 老いの悲しみやはかなさと無常が結びつき 生の一瞬一瞬の耀きやその回顧などが強くなって 仏道よりも 日本的な文芸に傾く趨勢。 そうなってくると、発句よりも和歌に親しむ気持ちも増した。 西行などは、今言ったふたつの面を併せ持った和歌を詠む人だと思う。 もっとも意は十代のときから解し
今まで、すべての死別の際、最後に交わした言葉は、「またな」だった。 初めて肉親を喪ったのは祖母。三年間の米国赴任を前に見舞いに来た僕に、人工呼吸器で話せない祖母は、指を1本立てて、何か必死で聞いていた。 意味がわからず、僕はその指を握りしめ、「大丈夫」と言っていた。 祖母は、「ああ、伝わらない」と言うように、自分の額を軽く叩いた。 僕は三年後にも祖母は生きていてまた会えるという以外の考えをすべて頭から追い出して「またな」と言った。 飛行機が滑走路を走り離陸した瞬間、僕は忽
山影も空ゆく雲も水の秋 人影も梢も街も水の秋
命と健康のためのファシズムに注意 今 回、なるべく、病院で良い人のふりをしている。 だが、ひとつだけ闘った。 それは私の荷物を勝手に開けて、すべての薬を奪ったことだ。 注意するべきは、それを私の命と健康のためと言い張ってる点だ。 まず、人の荷物を勝手に開けることだが、これは警察でも、私の同意か、捜査令状がないとできない。 昔はともかく、今は学校では、クラスで盗難事件があってもやらない。 それを健康管理と病院が勝手に思っている「正義」のために、するというのは、既にファシズ
imagine no possession の真意 パサール祭のひとつのターフで、ステージには出なかったアマチュアのおじさんがイマジンを弾き語りしていたとき、めっちゃうまかったとかそういうのではなくて、タイミング的なものだと思うんだけど、 imagine no possession というくだりで、過去最高にこのフレーズが自分に入ってきた。単に何も持っていないという感じではなく、海も空も森も仲間も恋人も何ひとつ自分のものではないという感じから、さらに自分が全存在に溶けて、同
息を引き取る=臨終 息を吹き返す=蘇生 一呼吸ごとの生と死
今日、歯医者の診察がありました。 口の中を縫った糸は全部切りました。 ワイヤーはまだ外さない方がいいので、 9月5日に診察を入れて、ここでの最後の口腔ケアをする。市立 枚方病院への紹介状を書くから、仕上げはそこで行う。 9月7日退院OKとのことです。 今日午前のリハビリテーションでは、 リハビリテーション科のプログラムではなく、 僕がメニューを決めました。 椅子から車椅子に移乗。 床から肘掛を持って立ち上がり、車椅子に座る。 車椅子を自分でおし、小さな段を登って、寄せて
吸う息を引き取る先の天の河 吹き返す息の染み入る山河かな
コギトエルゴスム=サッチタナンダ-アーナンダ 他の方のコメント欄に書いたこと こういう話をすると頭の中でcogito, ergo sumと鳴りますが、これは意外と実在論的ではないと思ったりします。cogitoとは覚醒していること。ゆえにbeだ~と言っているが、主語は??? 覚醒しているがゆえに存在する。サッチタナンダから見ると、コギトエルゴスムは、サット(真実)チット(覚醒)は言ったが、アーナンダ(至福)だけ言い忘れたみたいな? 古今東西の賢者たるもの、実在論的だった人は
宇宙はいつも私をちょっと甘やかす。 私が観るべき私をとことん観つくす前に、私を最大の危機から救いはじめる。 幼児期に両親がそうしたように。 そして私は笑顔を浮かべ、あなたはよい顔で笑うのね、かわいらしいと人が言うのだ。 63歳になっても。 文学の悪魔は私に憑いていない。 まだどん底に来ていない。 今、救えば、また甘いことを書く。 だが有難い。 あとをどれだけ想像力で補えるかは、 私の才能と努力だ。 ここで娑婆を甘く観るなら、私の才能不足だ。
作業療法士に連れていかれた。手指の課題、一つ一つ、一発で卒業した。 「第3頚椎潰れてると言われてるんですが?」と言うと、「MRIに映っているのは、骨が潰れているということです、それが神経をどれくらい圧迫してるかは、画像に映らないから、作業して評価するしかない。これだけ指が動くなら、かなり軽微です」と言われた。 「すぐできたので、ベッドサイドでできる課題をしましょう」と言って、紙をちぎったりした。「これならベッドでできるでしょう?」 「あのう、私はリハビリのためのリハビリはしま
頚椎5番についても調べた。 「頚椎の5番目の骨と6番目の骨の間で神経の根本が圧迫されると、さまざまな症状を引き起こす可能性があります。 肘から先の腕の親指側や、親指や人差し指に痛みやしびれを感じる 手首を手の甲の方向へ反らす筋力が低下する 肩こりや首・肩甲骨の痛みを感じる 首から肩のあたりを中心に痛みや痺れが生じる 手全体や下肢の麻痺、しびれなどを生じる 片方の上肢に放散する痛みやしびれ、麻痺を生じる 両手のしびれや巧緻運動障害が生じる これらの症状は、加齢や