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保次郎一家の移民生活

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曽祖父・保次郎(やすじろう)一家の米国移民時代を辿る旅。明治〜大正時代のお話。
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#大正時代

曽祖父が農業を営んでいた場所(大正9年)

曽祖父・保次郎は米国カリフォルニア州のストックトン(Stockton)やオーウッド(Orwood)に住…

abetomo
5年前
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家族や友人たちと(明治38年〜大正13年)

曽祖父の保次郎は写真が好きで、家族写真以外にも、友人と思われる方や親族と思われる子どもた…

abetomo
5年前
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祖母が通ったアメリカの小学校(1920年〜1921年)

曽祖父保次郎一家がカリフォルニア州に住んでいた頃、娘である祖母とその妹ヒメコ(大叔母)は…

abetomo
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祖母のような日系二世が受けた教育(1920年代)

祖母のようにアメリカで生まれ育った日本人移民の子供(日系アメリカ人)は、どんな教育を受け…

abetomo
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曽祖父保次郎、42歳で日本に帰る(大正14年)

曽祖父保次郎のアメリカ生活はそれなりに豊かだったように思えますが、42歳の年に妻子を連れて…

abetomo
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帰国後の曽祖父一家:日本でも写真を撮る

日本に帰った曽祖父一家は、故郷の新潟県と福島県の県境にある山奥の村に滞在しました。 下の…

abetomo
5年前
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帰国後の曽祖父一家:在米知人からの手紙(大正14年)

曽祖父保次郎は帰国後、在米の知人や親族、日本国内の知人などと手紙のやり取りをしていました。 当時の人が書いた日本語は旧かな漢字遣いの候文なので、英語の書類を読むより苦労しました。タイプライターで書かれた英文書類はGoogleドキュメントでテキストデータ化できましたが、手書きの昔の日本語はOCRアプリを使っても読み取れませんでした。保次郎の甥が書いた手紙はかろうじて読めますが、他のものは難解すぎます。 そこで、古文書やくずし字が読めるという、元同僚Nさんのお父さんに解読を手

帰国後の曽祖父一家:米国の甥からの手紙(大正14年)

曽祖父保次郎一家の帰国後、大正14年(1925年)11月に、アメリカにいる甥(保次郎の兄の次男)…

abetomo
5年前
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祖母とアメリカの友達との文通(大正14年)

曽祖父保次郎だけでなく、祖母も帰国後にアメリカの友達と手紙をやり取りしていたようです。1…

abetomo
5年前
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