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ショートストーリー劇場〜木曜日の恋人〜⑩ 『スナック夢』

 今じゃあ信じられないだろうけど、昔はこの町だって随分栄えてたんだわ。ニシンが沢山獲れて、数の子の加工なんて日本一だったのさ。映画のロケ地にもなって、高倉健も来たし。それが今じゃあご覧の通りさ、すっかりさびれて、寂しい港町になっちまったよ。

 そんな町で暮らしていく中で、唯一の楽しみと言やあ、酒を飲むくらいのもんだべ? 賑やかだった頃は、そりゃあ、キャバレーだパブだ、つってなんでもあったけど、今じゃあポツポツとスナックがあるばかりだもんな。ああ、そうそうスナックと言やあね、おれにゃあ忘れられない店があるんだわ。四丁目の坂を降りた所に「みゆき」ってスナックがあるだろ? あそこは以前「スナック夢」って店だったのさ。

 そこの夢ママってのが、まあ別嬪でねえ、店の常連はみんなママのファンだったのさ。ママが一人で切り盛りしていたんだ。いつも伏し目がちで、ママはあまり多くを語らず、客たちの与太話に耳を傾けては笑ってくれたもんさ。でも、その笑顔の中にもどこか翳りがあって、哀しい過去を背負った女という感じがしたよ。そういう秘密を抱いた女の色気……分かるべ? ああ、お前さんにも夢ママに会わせてあげたかったよ。

 まあ、ともかく、そんな訳だからママに関する噂は絶えなかったんだわ。

 昔、東京で女優をやっていた、とか、ママの愛する男は刑務所の中にいる、だとかさ。

 誰も本当のことは分からねえ。噂の真偽を直接ママに尋ねるような野暮な奴あ、いなかったからね。

 でもおれあ、一度見ちまったんだ。看板だってことで店を出たあと、忘れ物しちまったのに気づいて引き返したんだ。灯りのほとんど消された店内で、ママはカウンターに一人うつ伏して泣いていたんだ。その時思ったよ、あの噂のどれかは本当なのかもしれない、ってね。おれあ、そっとドアを閉め、忘れ物のことなんざ忘れ、そのまま帰ったさ。

 滅多にないことだったけど、上機嫌になるとママはカラオケを歌ってくれたんだ。十八番はなんと言っても「圭子の夢は夜ひらく」さ。それがうめえのなんのって。いやあ、お前さんにも聞かせてやりたかったよ。ありゃあ藤圭子本人が聞いたって目ん玉ひんむいて驚くほど情感たっぷりに歌い上げてたなあ。歌を歌うってのはああいうことを言うんだろう。

 そんな「スナック夢」も、ある日突然終わりを迎えたんだ。

 あれは雨の降る晩のことだった。

 その日もママは珍しく歌を歌ってくれた。藤圭子さ。おれたち客はみんな聞き入ってたよ。

 するとそこへ、傘もささずびしょ濡れんなった男が入ってきた。サンドバッグのようなズダ袋を肩にひっかけてさ、よれたハンチング帽を被って、お世辞にも綺麗な身なりとは言えなかったな。ハンチングのツバからは雨雫がぽたぽたと垂れていたよ。

 男は立ち止まったまま、じっとママを見つめていた。

 したっけ、ようやくママも気づいたのさ。顔色がぱっと変わったよ。ママはマイクを投げ出して、おれの飲んでた水割りのグラスをばっと手に取り、その男の前に行き、男の顔にグラスの中身をぶちまけた。こいつにゃたまげたね。びしょ濡れがさらにびしょ濡れってわけさ。そんでもって、男の横っ面にパシン! と一発食らわしたんだ。みんな呆然さ。

 それから夢ママは、しばらく男の胸に顔を埋めて、泣いていたよ。

 カラオケの音楽が鳴りっぱなしだったんでよく聞こえなかったけど、男はなにやら「すまなかった」とかなんとか、謝っているようだったな。二人の過去に何があったかなんて、二人にしか分からないことだった。

 それっきりこれっきりさ。その男と一緒になったんだろう、ママはこの町を出て行っちまったよ。おれたちにさよならも言わないでさ。ま、ママが幸せに暮らしてるってんなら、おれたちゃ誰も文句は言わねえさ。みんなママのことが好きだったんだ。

 でもおれあよ、出来ることなら、もう一遍ママの歌を聞きてえなあ。

 ああ、お前さんを「スナック夢」に連れてってやりたかったよ。

 明日は別に早くないんだろ? じゃあもう一軒行くべや。そうだ、「スナック純子」には行ったことあるかい? ない? よし、じゃあ「純子」に行こう。あそこのママもイイ女なんだわ。歌も上手でな。

 今日のおれあ、イイ女が歌う良い歌を聞きてえ。そんな気分なんだわ。そういうのって、お前さんにも、分かるっしょ?



・曲 藤圭子『圭子の夢は夜ひらく』


SKYWAVE FMで毎週木曜日23時より放送中の番組「Dream Night」内の「木曜日の恋人」というコーナーで、パーソナリティの東別府夢さんが僕の書いたショートストーリーを朗読してくれています。
上記は3月10日放送回の朗読原稿です。

舞台のモデルは僕の生まれ故郷の北海道留萌市という町であります。僕が子供の頃は活気もまだ多少は残っていましてスナックも沢山あり、看板を見るのが好きでした。野球選手の名前よりもスナックの店名の方が詳しかったと思います(なんちゅう子供だ)。子供の頃は普段偉そうな大人が「スナック」だとか「ママ」という子供のような言葉を使うのが不思議でなりませんでした。

来週も朗読ありますのでよろしければ聞いてみてください。

SKYWAVE FMは下記ホームページで聞くことができます。


・SKYWAVE FM









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