森美術館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:① [哲学]
「森美術館開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」初日。今日も寄り道と一部地下鉄を含めながらトータル11㎞を歩きつつ(DAY16/100)。
同美術館の年パス的なメンバーシップ(制度は結構変わった)を更新し続けて、10年くらい経っている。何もわからないところから、時間をかけてじわじわと乗っ取られた。ベネッセアートサイト直島を知ったのも、10年ほど前の展示からだったと思う。
捻りが効いた企画も多く、今回もまた悩まされるのか?と期待しつつ行ってみたが、今回は、「教科」は作品のカテゴリ分けに軽く置かれているのではという第一印象だ。
もちろん「20周年記念」であり「当館の企画展としては初めて、出展作品約150点の半数以上を森美術館のコレクションが占める」という説明書きを読めば、「なるほど」なのだけど。(最終日=9月24日までに10回は行くつもりなので、感想は変わってくるかもしれない)。
【哲学】の作品群から
初回なので、ざっと展示会場を歩いてふと目に付いた「哲学」のところだけを軽く。
李禹煥(リ・ウファン)
好きな作家なので、再会できてうれしい。
形状や質感でなく、ものとものとの関係を観る。
直島では、この作品(下、の色違い)の前で瞑想できる。
奈良美智
一室に一枚。実際に大きくそして存在感のある作品。
ロスコ然り、髪の毛のあたりは、クリムトというか工芸というか、そんなイメージも浮かんできそうだ。
宮島達夫
こちらも一室一作品。宮島作品、という感じのLEDアートだ。
宮島作品といえば、直島「家プロジェクト」の空き家を使ったインスタレーションも連想される。
ツァイ・チャウエイ(蔡佳葳)
「哲学」カテゴリの中には、死、滅び、を連想させる作品もあった。
アラヤー・ラートチャムルンスック
うーんこれは・・・必ず目を惹かれてしまうという意味ですごい反則技のように思えるが、実際にやってしまうところと、「授業」の内容がウィットに富みつつ哲学的で、引きこまれてしまった作品。
6体の、死後間もない遺体を前に「死」についての授業。
じつは全員生きていましたとか、1人だけ生きていて突然起き上がりました、という展開もなく、はじめから最後まで、本当に死者を前の授業。
時折、話しかけつつ。
これはユーモアなのかブラックユーモアなのか、と見る者を戸惑わせつつ、作家自身の死生観、タイ人の死生観が感じられるところも興味深かった。たとえば、わたしにとっての死よりも、なんだか死が身近にあるのでは?という印象を受けた。
頭をクリアにして、何度も通う
そこにかけた作家の魂と労力を考えれば当然なのだけど、アート作品を観るととても消耗する。もちろん心地よい疲れなのだけど、よい作品にはよい状態で出逢いたい。
だから無理することなく、日数をかけて鑑賞していこうと思う。