「第八次椿会 あたらしい世界“ただ、いま、ここ”」@資生堂ギャラリー 銀座。
まず「椿会」とは、ということから。
シーズン3からの”ドラマ”
afterコロナの「あたらしい世界」についての3年目の展示ということで、あたかも連続ドラマのシーズン1と2は概要だけ読み、シーズン3を観てみました、という状態になった。
とても練り込まれた企画展、ということは(たぶん)感じることはできつつも、理解がほぼ追いついていない。
資料は、公式サイトで公開されている「展示作品について ~アーティストインタビューより~」にある。
先に目を通しても、後で見ても、「そういうこと!」という愉しみがあると思う。
中村 竜治
わたしは資料を読まずに鑑賞した。会場を出て、しばらくしてから読んでみて、最も「えっ」となったのは、この作品だ。
1枚目は無理やりトリミングした。それだけ、作品意図からすると外れた鑑賞のしかたをしていたことになる。
この「椅子」について作家は「水面をモチーフにしていて、格子状の 構造体に色鉛筆で 6 色に着色したので、見る角度によって色が移ろうようになっています」(上にリンクを貼った「展示作品について ~アーティストインタビューより~」、以下同)と解説している。
写真のように、観る方向によって印象を変える、「椅子」のほうにばかり気を取られていた。
下も、作品は椅子単体ではなくて、タイトルは《無関係》。柱との無関係という関係性がテーマであった。
下も《無関係》。これは偶然このアングルで撮って、柱が意味ありげに入っていたので、あとでトリミングしたものだ。
少しだけ、種明かし。
ミヤギフトシ
会場に至る階段の踊り場で、はじめに出逢ったのが本作だ。
作家は「椿会と重なる時期に『幾夜』という小説を書いたので、それをベースに考えた」と明かす。
宮永愛子
息を呑んでしまうような、ガラスケースの中の世界。
このナフタレンを使ったアートは、森美術館でも鑑賞したことがある(そのときは「靴」がテーマだった)。
脆く、壊れやすく、儚げな作品は続く。
Nerhol (ネルホル)
ふしぎなところに設置されている意図は? と謎だったのだけど、
「今回、それぞれの作家さんの作品の近くに自分たちの作品を置いています。導線のなかで、なるべく他の作家さんの作品 が目についてから自分たちの作品がある、というなかたちで見えるように設置しました。作品も大きくせず、初めてこの小さい サイズで作ってみたというのも、設置場所のことを考えてのことでした」という解説を読み、納得した。
杉戸洋
なぜ芋なのかといえば、作家たちとのディスカッションのなかで「無関心」というキーワードからミラーボールを連想し、そこから「月」、月と言えば満月の夜に芋堀をする習慣がある、というところがらつながったのだという。
目[mé](め)
海から切り出して瞬間的に固めたような作品、床に貼られた顔写真のシール。これは説明を要する作品。
物語の続きを鑑賞して
引用に戻る。
会場から感じたのは、アーティストたちが横につながり、今、この会場で展示すべき作品を考えて展示している、という、ふしぎな「つながり」感だ。
作品ごとに表現方法は全く違うのだけれど、どこか調和がとれていた。
地階に広がるそんな世界を堪能し、階段をのぼれば夢から醒めて、わたしたちは銀座の街の喧騒の中に消えていくことになる。