ヒロ杉山 個展「BLACK MOON」@銀座 蔦屋書店(10/07 - 10/25)
黒のシルエット、既視感
まず、作品から。
全作品がモノクロ。盛り上がった、黒のシルエット。
観ているうちに「あれ?」となってくる。
「この絵って、どこかで?」と。
これらの人物画までくると、「やっぱり」となる。
セザンヌ、ピカソ、マティス
解説文を読んでみる。
具象の抽象を往復、そのための手法。
種明かしがなされた後で作品たちを観ると、改めて作家の意図をふまえた面白さが理解できる気になってくる。
脳内で彩色し、作品が完成
この、新作の浮世絵シリーズにしても、
わたしの目に見えるのは、すでに黒いシルエット、だけではなくなっている。オマージュ元の作品を脳内から思いだし、彩色をほどこす。細部までは知らなくても、「浮世絵だから」ということで、それっぽい彩色を施すことはできる。いや、そうしないではいられない。
だから目の前にあるのは、モノクロ作品であってすでにモノクロ作品ではない。
具象と抽象の境界線
作家はアーティストステートメントで、気持ちよいほどにわかりやすく、作品の「仕掛け」を披露する。
なるほど…オマージュ元の作品の絵の具の盛り上がりまで、3Dスキャンしたような再現。そして、「そこにあったはずの色彩を想像し始める」は、まさに、わたしはすでにそれから逃れられない。
加えて、「黒い絵の具で作られた凹凸」がそれを助ける効果になっていたとは。
ただ、もちろんそれだけではない。「しかし元になる作品を知らない場合は、その絵の抽象度は上がって行くだけである」というところに、緻密なコンセプトがのぞく。
一般的な知名度が低い作品をオマージュ元としてしまうと、鑑賞者にとっては、ただの抽象絵画だと思われたままになるおそれもある。
だから作家はあえて、「あれ、もしかして?」という気づきを与えるほどの有名作品を選んで……。静物画だけでなく、あれ?キュビズム? というところも、ヒントの一つなのだろう。
作品に籠った作家のエネルギーを感じるタイプの展覧会はもちろん好きだし、本展のように、何か仕掛けの香りが漂っていて、解説を読んで、「そこまでは気づかなかった!」と悔しくなるような展覧会も好きだ。