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根ざすことと"根こぎ"と -クリスチャン・プーレイ "Geographies of Love"

 某日、千駄ヶ谷から原宿方面。

 千駄ヶ谷小学校と向かい合う、「ギャラリー38」。

 クリスチャン・プーレイ " Geographies of Love " (- 6/30)


抽象のなかに消え入りそうな緊張感

 白い空間に、美しい色彩の風景?画。一部が抽象化された作風のようだ。

1983年生まれのプーレイは、南米・チリの中でもとりわけ植民地化による複雑な歴史を持つ土地で幼少期を過ごします。その後チリで絵画を学び、ロンドン、パリへと拠点を移しながら画家とし て高い評価を獲得してきました。自らが育った土地や家族のアーカイブ写真をベースに生み出される夢と現実の狭間のような情景は、イメージの大部分が抽象化されており、柔らかな印象の中でノスタルジーに陥りそうな鑑賞者に、大胆で力強い絵筆の跡とどことなく不穏な空気がふと緊張感を与えます。

同上

 描かれている作品の解像度がだんだん粗くなり、細い筆が太い刷毛に変わって画面を覆い尽くしていくのではないかというような……という、静けさのなかに「動き」のある作品。人物の近くにまで迫ったその抽象化が、もしかして人までもかき消してしまうのではないか、という不安定さ。

 展示空間に、不思議な空気が流れていた。

作家は、異なるように見える断片が一つの表面で共存することができるペインティングという「言語」を通して、鑑賞者と対話することを意図します。本展覧会の作品「Geographies of Love」では、現実を見る別のレンズ、この場合は場所や人々への「愛」や「愛着」を用いて、異なる視点を組み合わせるという行為を促します。ある土地に根ざす感覚、特定の場所やコミュニティへの感情的なつながりは、個人の心理的風景と社会的アイデンティティを形成する上で重要な役割を果たします。観客が彼女の風景の前に立ち、風景に佇む人物が誰なのか、そこがどこなのか、自分自身の記憶と対話し、絵画の前を往復しながらさまざまな角度からその風景の奥を見つめようとします。紛争や混乱に満ちた現在の中で、自身の中にある折り重なる時間や記憶のレイヤーに触れながら絵画と向き合うこと。他者への尊厳に由来する対話こそが重要な世界において、その力は真摯に響きます。

同上

根を持つことと「根こぎ」

 作品を鑑賞し、説明が情報として入ってくるごとに「ああ」と気づくことがあった。

2021年に開催したGallery 38での初個展「Distance」では、パンデミック禍での他者との「距離」 に着想を得、転位と不在の概念をテーマにした作品を発表しました。新作ではより内省的な感情 に突き動かされ、深い自己認識の世界に入り込んだというプーレイは、今回の制作を通し「Belonging (帰属する)」という感情、そして個人と「Home (家、故郷)」との関係性という一貫して思考し続けてきたテーマをさらに探求しています。「Home (家、故郷)」とは、個人、家族、国、地域が他との関係を理解するための最も基本的な社会的概念の一つです(『Home—So Different, So Appealing.』展 ( LACMA Museum、2017年)より)。」離れているからこそ「Home (故郷)」はより概念化し、現実と想像が作り上げる産物となりながらも、地理的環境、文化的、社会的、感情的 風景の集合体として知覚される「自分」を探求する上で、物理的な地図上の点ではなく個人史や感情の中にある「場所」としてむしろ重要さを増していると言います。「絵画上の架空の空間が本当の帰属感を創り出すことができるのか?」という問いに対し、彼女はシモーヌ・ヴェイユの言葉を引用します。「根ざすことは、おそらく人間の魂にとって最も重要でありながら最も認識されていない必要性である」(シモーヌ・ヴェーユ 「根をもつこと」山崎庸一郎 訳、春秋社、2020年)

同上

  引用されているシモーヌ=ヴェイユ(Simone Weil)の「根を持つこと」(L'Enracinement)。哲学者であり社会思想家である彼女のその著作には、「根」の概念が説明されている。ここでいう「根」とは、人間が自身の生活と環境、文化、歴史、共同体とのつながりを持つことを意味している。これは、人間が安定し、精神的に充実し、社会的にまとまった存在として生きるために不可欠な要素だ。

 それを削がれた「根こぎ」(déracinement)とは、人間が自らの根を失った状態だ。「根こぎ」の状態にある人々は、アイデンティティを失い、孤独感や疎外感を感じやすくなる。「根こぎ」は強制移住、戦争、経済破綻、文化的な同化などによって引き起こされることがある。ユダヤ人としてナチズムの時代に生きたヴェイユの言葉は重い。

 「根こぎ」の状態は個人はもとより、社会全体にも深刻な影響を及ぼす。そしてそれは、こうして現代にも続いている。人は無意識に「根」を求めている。

 だから根ざす場所として作家は絵を描き、そうだとするなら、と考えれば、わたしがはじめに感じた、画面のなかに起きる抽象化が絵の全体を覆ってしまうのではという不安は消える。

 そこが根ざしていい場所であるなら、描かれた人やものが、かき消されてしまうことはない。不安定な場所ながら、そこには「根」をおろしていけるのかもしれない。




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