大竹伸朗展@東京国立近代美術館 -圧倒的な量,かつ高密度の情報の渦中で
大竹伸朗の、しかも回顧展が開催されると聞いて、これは体力・気力のある日に行かねばと思っていた。
わたしのイメージでは、この作家の作品は、とにかくダイナミックで情報量が多い。
例えば、自由の女神像を格納中の一軒家とか、
あるいは、元小学校をこんなふうに改造したり。
過剰で雑多で、大好きだ。
■美術館外観をジャック
心の準備をして足を運んだつもりだったのだけど、会場の東京国立近代美術館を訪れて、「やっぱり」というか「やられた」というか、一作目の展示に驚愕した。
「ここは駅なんですか」と尋ねている人が本当にいた。違います!
本作品「宇和島駅」は旧宇和島駅のサイン看板に新しくネオン管を仕込んだもので、初展示は1998年、新津市美術館(現・新潟市新津美術館)(『ポケットに大竹』76頁)。
作家は宇和島に移住しているのだが、宇和島駅の駅舎が取り壊される際に、このネオンサインを入手し保管していたという。
ちなみに、作品集『ニューシャネル』に掲載されている作品写真によると、「宇和島駅」は、1998年1~3月に新津市美術館(現・新潟市新津美術館、1999年11月~2000年に水戸美術館、2006年10月~12月に東京都現代美術館、2007年9月~11月に広島市現代美術館、2007年7月~8月に福岡市美術館の、それぞれ建物の上に展示されており、いずれも、「ここは駅だ」と思ってしまいかねないリアルさだ。
移動しながら写真を撮る際に、「国立近代美術館」「宇和島駅」が絶妙なアングルだなと思っていたのだが、やはり、これらのサインの位置関係に、コラージュ的な意味を持たせているそうだ。
…ということは、美術館が宇和島駅という、作家のベースであるエリア(作家のホーム)にジャックされたと捉えることができ、もしかして、(もちろん機能的な駅ではないにしても)、「ここは駅ですか?」という問いは本質的なのかも?
と、鑑賞者は入館する前から、脳をフルに使うことになる。
■7つのテーマ、500作品超が展示
16年ぶりの大回顧展。7テーマに分けて作品展示がなされているのだが、「7 つのテーマがそれぞれ重なり、ゆるやかにずれながらつながっていく展示空間で、大竹伸朗の作品世界を紹介します」という説明の通り、数字の順に並んでいるわけでもなく、モヤモヤする。
この感じで、ああ、すでに世界に入り込んでいるなあと自覚しつつ、大竹ワールドに呑み込まれていく。
■「モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋」
2012年のドクメンタで発表された「モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋」(2012)も展示会場に。作家の著書でも書かれているが、当時の展示場所は森の中なのに対して、今回は写真のようなちょっと猥雑な雰囲気で、まさに大竹ワールド。
■圧倒的な高密度な情報。解凍が追い付かない
アートを観る際に、「自分が感じるままに鑑賞すればよい」という考え方もあるけれど、この作家の場合、作家の心底にあるもの、みたいなところがすごく気になってしまう、磁力のようなものがある。
瀬戸内の大竹アートに圧倒されたとき、大竹伸朗の著作『ナニカとナニカ』『ビ』の2冊(『新潮』の連載をまとめたもの)を読んだのだが、言語化も非常に巧みな作家で、愉しんで読めた。その後も何冊かを読み、その考え方の筋道を追体験すると、やっぱり軽々と作られた作品であるはずがないのだ、と痛感する。
(作家自身がよく語るように、なぜ作ったのかまったくわからないとか、作品制作にあたり、たとえば「そのとき周りにある材料しか使わない」というふうに、自ら縛りをつけて偶然性を取り入れたとしても、それ以前に、作家のなかで自分の中から出して解消したい言語以前のモヤモヤのようなものは明確にあり、作っていくうちに自分で「ここまでだ」という、完成のタイミングがわかるということから。)
1作品ごとに時間をかけて向き合うと、それぞれすごい納得感が得られると思うのだけど、とにかく高密度な作品が、惜しげもなく次々と出現するので、自分が一昔前の「圧縮ファイルがなかなか解凍できず、フリーズするPC」状態になってくるのがわかる。
いったん会場を出て、外で飲み物を飲んだり化粧室に行って落ち着き、再び参戦、ということを、2回した(それをしても、圧縮ファイルのまま、とにかく脳に収納することをがんばってみる、ということしかできなかった気がする。もっとも大回顧展だから、それは当然なのだ)。
■スクラップブック71冊も公開
作品に挟み込むように、あるいは1つの展示空間を使って、ライフワークであるスクラップブック(71冊)も公開されていた。このスクラップブックはそれそのものが、非常に濃い作品だ。
■大竹文字(フォント)の魅力
大竹伸朗といえば、この独特なフォント。
スナックの看板をモチーフにした作品「ニューシャネル」。
記号のように、作品に登場する。
本展にあわせ、公式グッズも増やしたという。
■2階会場は「音楽」、そして最新作
広い会場の出口がようやく見えてきて「圧倒的だったな、日を置いて再訪したほうがいいかも」と思っていたら、大竹文字のこんな掲示が。
2階会場のテーマは音楽。
■「残景0」(2022)
最新作の「残景0」もここに。
本作の製作過程は、2階展示室前で上映されている、NHK制作の、90分のドキュメンタリー映像に詳しい。
見たところ金属のように見える素材は、紙と木材だ。箱やシガレットペーパーといった素材や廃材を接着剤で接着していき、砕いだ大理石を散らし、コーティング剤をかける。ドキュメンタリーの中で作品は未完のままで、完成作は展示室に、の流れとなる。制作風景に絡めて、作家の生い立ちや軌跡が、関係者の声も交えて語られる。
ぎっしり、ずっしり、といった重量感。それは見た目だけでなく、ドキュメンタリーで制作過程を追体験すると、なおのことだ。高密度の作品が非常に多いなかで、ほかに比べて決して大型ではない本作からは、発散させたらとてつもない爆発を起こしそうな密度を感じた。この赤い色合いにも、妙に惹きつけれられた。
■グッズを購入(追記:買い増した)
もうこれ以上なにも入りません、という状態まで鑑賞し、それでも後ろ髪をひかれつつ会場を出て、ミュージアムショップへ。
事前にウェブでチェックしていた大皿と、サコッシュを購入した。後者はとにかく軽くて頑丈さ、収納力も気に入ったので、ロッカーで開封してすぐに使い始めた。
大皿は「使う」つもりでいたのだけど、立てて飾っておくとなかなか素敵だということに気づいて、今は補助スタンドを使って机上に飾っている。
裏側も、作品ごとに絵柄が異なる。
「皿」に5000円超というのはリーズナブルではないかもしれないけれど、アート作品として捉えるなら、ありなのではという気がしている。実は気になる絵柄がもう1枚あった。買おうと思っていたピンバッジも購入し忘れてしまった。
また足を運ぶことになるはずなので、そのときに買い増すつもりだ。
【追記】そして、買い増した。
改めて絵柄説明。左は絵本の主人公「ジャリおじさん」。話すと語尾が「~ジャリ」となる、子どもが絶対好なキャラクター。右は著書「ガスパの男」でも紹介されていたスケッチ「パストゥール通り」。
サコッシュ(全2種類)も揃う形に。(両面の写真を)
サコッシュには、瀬戸芸の中里繪魯洲(なかざと・えろす)さんのワークショップに参加した際に、穴をあけていただいて購入した、メダルを付けた(勝手にコラボ)。これを持って瀬戸内海の島にまた行こう。
ワッペンシール(1210円)。基本、黒を基調に1つだけ色のあるものを着ていて模様の入った服は着ないので、いい感じのワンポイントになった。女性の絵柄(ダイヤモンドヘッド)は、特に好きな絵なので3枚購入。
そして、前回の回顧展の図録『全景』までも。
基本、必要以上のものを買うことに興味を持たない中で、これらは「必要だから入手した」としか説明のしようがない。
■近々また、不思議ワールドへ
「やっぱり、体力が足りなかったか」(もっといけるかと思ったのだけど、回顧展というのがやはり一筋縄ではなかった)が今回の感想だ。
もちろんそれは、嬉しい悲鳴だ。幸い、来年2月までの開催なので、この「不思議ワールド」をまた探索しよう。
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