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持続する線と身体性 -新井 碧 [AVOWAL]@Tokyo International Gallery

 某日。品川から天王洲アイルへ。

 AVOWAL(〜6/29)@Tokyo International Gallery



生きてきた身体の記憶


新井の作品は、無意識的なストロークの蓄積によって制作されています。その繰り返しによって生まれる痕跡には、自身の身体の時間が内包されています。私たちが無意識に呼吸をし、心臓が脈打つように、生かされている身体と絵画の関係性に向き合い、生命とその有限性、さらにはその先にある時間の在り方について問いかけています。今回の展覧会では、より身体の機能にフォーカスしたモチーフを描いた新シリーズの作品を含めた展示により、これまでの変化を感じていただくことができます。新井が描いた痕跡を辿り、想像を広げる中で、ぜひその内包された時間をご体感ください。

同上

1年の時間を経て

 新井碧作品を初めて鑑賞したのは、昨年6月、銀座の蔦屋書店の個展だ。そのときの展示作品を思い起こしてみれば、展覧会概要のなかの「より身体の機能にフォーカスしたモチーフを描いた新シリーズの作品」という意味合いもわかる。

 当時のnoteに、こんなふうに書いた。

 鑑賞する者は、まず全体を眺め、キャンバス上を走る線を追うことになる。いや、そうしないではいられない、と思う。

 細い線、勢いよく太く駆け抜ける線。ダイナミックに動き回る線。1本1本の、その「筆跡を追体験」することになる。

 この追体験をして(させられて)しまうところが胆だ。

 作家は意識の記憶でなく身体の記憶で描くと言っているのだから、それは作家の無意識の顕現だ。それを共になぞるというのは、作家の無意識に一緒にアクセスしているということなのではないか、と思う。

 知らず知らずのうちに作品世界にわたしたちも取り込まれ、あたかもメタバース的な世界で、アバターを通じて作品世界を探索するような状態に入っているのかもしれない。

新井碧[持続する線]@銀座 蔦屋書店(@GSIX) -身体の記憶,追体験

 1本1本筆跡の追体験に加えて、今回はその筆を繰り出す作家の気配が少し強まってきた。

 今後作風はどのように流れてゆくのだろう? そんな期待を抱きつつ。



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