ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展[1]-総てがスペシャリテ,デザートまで良質なフルコース
「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」@国立西洋美術館(東京・上野公園、~2023年1月22日)に足を運んできた。噂はnoteの書き手の皆さんからも届いており、よい状態で鑑賞できそうな日を探っていた。
■良質なフルコースを堪能した気分
一皿一皿がとにかく美しく味わい深く、しかし(ものすごいカロリー摂取をしているはずなのに)胃もたれしないフルコースを完食してきましたーー今はそんな気分だ。
しかも、デザートや小菓子の一粒一粒(ゴージャスな常設展=国立西洋美術館・松方コレクションをそう例えるのは、大変申し訳ないが)に至るまで、隙がなく美味。これで入場料2100円は安いと思う。感謝をこめて、図録も購入した。
■目利きが選りすぐり、美しく額装
公式サイトによる「見どころ」は、下記の4点としている。2.と3.は1.にまとめられるので、この「胃もたれしない感」は何なのだろう? と思い起こすとき、やはり、「目利き力」と「絵×額縁のハーモニー」なのだろうと感じる。
アート・ディーラーであるベルクグリューンが、「自身の嗜好と鑑識眼をたのみに収集を続け」、しかも「作品を購入すると、ベルクグリューンはアンティークの額を探し出して組み合わせました。こだわりのアンティークの額縁とのユニークな組み合わせにも注目」とある。
例えば、ポスターや図録表紙に使われている、ピカソの《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》は、このような額装で、といった具合だ。
■「フルコースのメイン」、第4室から
展覧会はもちろん、年代も考慮して、テーマを設けて順を追って作品展示をしているわけだが(そして、どれもいいなあと思える)、
どのみちほぼすべてについて書いていくつもりなので、あえて、展覧会のメイン(と思える)、4番目の展示室、「両大戦間のピカソー女性のイメージ」の作品から、印象的だった作品を振り返っていく。
この部屋のキーパーソンは、さきの説明にもある、写真家であり画家のドラ・マールだ。
■パブロ・ピカソ《花の冠をつけたドラ・マール》
ピカソが詩人ポール・エリュアールの紹介で、写真家ドラ・マールと知り合ったのは1935年秋~1936年。彼女は1936年頃からピカソの作品に現れはじめる。(※文中の時代背景や作品解説等の出典は、すべて展覧会図録から。以下同)
本作《花の冠をつけたドラ・マール》は1937年2月13日に描かれ、《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》と同様にピカソから贈られ、1997年にドラが死去してはじめて世に知られた作品。
ポイントとなっている、ひっかき傷のような白い線、黄色、緑、といった塗りつぶされた面はチョークによるものだ。
■パブロ・ピカソ《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》
1936年の作。緑、青、赤、黒、といった色のマニキュアはドラ・マールのチャームポイントとしてよく知られていたという。
ピカソとドラ・マールの関係は1943年に終わるが、彼女は本作をリビングルームの暖炉の上に飾り、生涯手放さなかった(絵と向き合う形でリビングで寛ぐ、晩年のポートレートも残っている)。
■パブロ・ピカソ《女の肖像》
1940年、ピカソがボルドー近郊に疎開していたときの作。ドイツ軍はフランスに接近しており、ピカソは独裁政権になったスペインに、身柄を引き渡されることを恐れていたという。
肘をつくという、「伝統的な憂鬱のポーズ」を取っているドラ・マールの髪の毛、両手、上半身は解剖学的に妥当でありながら、頭部だけがデフォルメされている。その理由として、ピカソがスケッチした愛犬の鼻づらとの融合を指摘する意見もある。
■パブロ・ピカソ《横たわる裸婦》
1938年12月28日、仰向けに横たわる一連の裸婦を描いた連作のなかの一枚。本作のモデルもドラ・マールとされる。
こわばった身体については、制作日の数日前までピカソを悩ませていた坐骨神経痛と結びつける先行研究もある。60歳を目前としていたピカソは激しい痛みに襲われ、ベッドから起き上がれなくなってしまい、電気治療で回復したという。
■パブロ・ピカソ《大きな横たわる裸婦》
1940年6月、ドイツに敗れたフランスは休戦協定を結び、ピカソは1944年8月のパリ解放まで作品発表を禁じられ、ナチスの監視下におかれながら制作を続けた。9月30日に完成した本作は129.5×198㎝の大作。
■パブロ・ピカソ《タンバリンを持つ女》
政治的緊張が高まっていた、1939年初頭制作の銅版画。
キュビズムの多視点によって女性の正面、背面、側面を同時に描き、同時に表現主義的な身体のねじれによって激しい動きを表現している。
■パブロ・ピカソ《多色の帽子を被った女の頭部》
1939年の作。
本作のモデルはマリー・テレーズといわれる。1936年からの動乱の時代はドラ・マールの時代と言われるが、それ以前のミューズ、マリー・テレーズとの関係も続いており、ピカソはタイプの全く異なるふたりの女性を同じポーズで対比させるような作品も残している。
■パブロ・ピカソ《黄色のセーター》
第二次大戦開戦の1939年10月の作、モデルはドラ・マール。
本作はユダヤ人の画商がピカソから直に買い受け、米国亡命の前にフランスの銀行の倉庫に保管されるが、ナチスに押収されてしまう。しかし大戦末期に別の場所に移動しようとしていたドイツ軍をレジスタンスが阻止し、戦後に画商へと返還された。
1959年にベルクグリューンのコレクションに加わると、この、17世紀スペインの金塗りの額縁に額装し、愛蔵した。
■パブロ・ピカソ《座る女》
1938年8月、夏のバカンスを過ごした南仏のムージャンで描かれた素描。モデルはドラ・マール。
帽子を被って椅子に座る半身像だが、人体は断片化し、再構成され、椅子やオブジェと融合してオブジェ化している。
■美しさに目が離せなくなる
ピカソは作品数が多く、日本の美術館で鑑賞もできるし、ずいぶん前になるがバルセロナのピカソ美術館で、その多作ぶりを堪能した。
ただ、アンソニー・ホプキンスがピカソを演じ、ピカソを捨てた唯一の女性といわれるフランソワーズ・ジローの視点で描かれた「サバイビング・ピカソ」をはじめ、「ピカソ、人としてどうなの?」という、交際する女性や自分の子どもたちに対する薄情すぎる逸話がありすぎて、腰が引け気味になっていたのも事実だ。
ただ、そうした逸話から切り離され、目利きによって厳選され、絶妙な感性で額装された本展の作品たちは、かくも美しい。モデルが画面の上でバラバラにされ再構築されようと、二次元上で再構築するから鑑賞者にとっては奇妙に見えるのであって、それぞれのパーツ、パーツは極めて正確な描かれ方をしているものたちなので、びっくりはするけれど、不安定さは感じない。
平日なのに全体的に混雑していた会場のなかで、特に混雑していたのがこの4室なのだけど、とくに急ぐ必要もなく長椅子に腰掛けて作品を眺めるなかで、「ここは斜めから見ていて、ここは・・・」というように、キュビズムで分断されたデッサンを、脳内でもとの形に復元する、パズルのような鑑賞をしている人が意外に多いようで(そして「いや~、わからなかったなあ」とか「疲れちゃった」とか)、それで人が滞留の原因になってもいるのかなと思った。
個人的には、この展示室では、やはり《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》。
画家によるイマジネーションでなく、実際に緑のマニキュアを身に付け、それをこなれたものとする女性芸術家。ふしぎにデフォルメされているのに画面から漂う気品。加えてこの額縁が似合いすぎる。モデル、画家、額縁の間に、ほどよい緊張関係が漂っている気がする。
このペースだと、一体いつ終わるのだろう? という感じだが、何よりも個人的に記録しておきたいという気持ちが強い。「ピカソとその時代」、ゆっくり振り返っていきたい。