7月某日、KOTARO NUKAGA(表参道)。
ステファン・ブルッゲマン
ステファン・ブルッゲマンの出典作品2作のうち1っ作品は、このようにギャラリー入口に展示され、外からガラス越しに鑑賞する。
ふと何かが気になって、目を凝らせば、
中央に、こんな文字が刻まれていた。
ギャラリー内のこの作品にも、
いろいろな意味に解せそうなメッセージが刻まれている。
母語と遠い言語だからこそ、そして短いからこそ、その意味は漫然としていて気になる。アートとしての美しさのなかに、何かひっかき傷のようなものを感じて、とても気になった。
リクリット・ティラヴァーニャ
おぼろげな記憶から、もしかしてカレーの人?と思って調べたら、そうだった。
今回は、新聞を使った作品だ。
ホセ・ダヴィラ
ギャラリー内に所在なさげに設置されている本作は、しかし圧倒的な存在感があった。
言語を待たずして、「緊張関係とは、こういうこと」ということがストレートに伝わってくる。作家名で検索したら、その作品たちは、ありとあらゆる不安定と緊張感に満ちた、ドキドキしてくるものばかりだった。
マイケル・リキオ・ミング・ヒー・ホー
アマドゥール
言語を超えて伝わってくること
小さな展覧会だ。書いてある言葉の意味もちゃんと受け取っているかはわからない。
でも、どういうわけか、すごくいいと感じた。出品している作家たちの作品が、それぞれに力があった。さらにはキュレーターの手による相乗効果で、作品たちが響きあい、よりクリアにストーリーやメッセージを感じさせるものになっているのだろう。
それらは、感じることはかろうじてできても、わたしには言葉による再現はできない。
だからせめて写真をここにのこしておきたいと思う。