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父がヴィヴァルディに込めた「我が世の春」

「どんな音楽を聞いてるんですか?」

若い頃、人に聞かれて一番困る質問がこれだった。質問の相手が期待する答えを、当時の僕はまったく持ち合わせていなかった。同世代の仲間が聴くような音楽をほとんど聴かずに若い時代を過ごしてしまったのだ。いろいろ柔軟に聴くようになったのはずいぶん大人になってからだと思う。

人よりちょっと変わったものを聴いていたいという想いもあった。「大衆に迎合するものか」という妙な意地も子供の頃から持っていた。これはおそらく父親譲りの性格だと思う。

父も流行りや俗的な類のものが嫌いな(あるいは苦手な)男だった。カーステレオで聴くのはもっぱら南米のフォルクローレやムード音楽で、同時代の流行歌が流れたことなど一度もない。そのニッチでマニアックな趣味をそのまま受け継いで、自分の音楽趣味は形成されていった。

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この間、そんな父親がなぜ?と思う昔話を母から聞いた。

もう50数年前。父と母はお見合いで知り合った。獣医の家の次男だった父は学校を出てから福島県北の松川という町にある東芝の関連会社に就職した。県南の鏡石町にある実家から松川まで、はるばる電車で通っていたらしい。

何回目かのデートの日。仕事帰りに途中の郡山で電車を降りた父は、駅で母と落ちあうとそのままレコード店へ向かい、クラシックのコーナーで1枚のレコードを手にした。ヴィヴァルディの『四季』。演奏はイ・ムジチ合奏団。父はそれを颯爽と(かどうかはわからないけれど)購入し、デパートで母にブローチをプレゼントしたあと、駅前にあったレコード喫茶で買ったばかりの『四季』のレコードを聴こうと母を誘ったという。知らないことをするのが大の苦手だった父親だ。きっと二度や三度は予行演習をしたに違いない。

しかし、父の趣味を考えれば考えるほど、これがどうにも解せない。なぜヴィヴァルディの『四季』だったのか。マニアックな音楽ばかり聴いていたはずのあの父がなぜ、クラシックの中で最もポピュラーと言っても過言ではない『四季』を選んだのだろうか。

ヴィヴァルディの『四季』と言えば、耳を引くのは何と言っても第一楽章の「春」だ。誰もが聞いたことがあるに違いないあの冒頭のメロディこそが『四季』のハイライトであって、いくら俗的なものが嫌いなうちの父親でもあのレコードを「B面からかけてください」とは言わなかっただろうけれど、それにしてもあまりにベタすぎやしないだろうか。

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今年の春先、母がめずらしく「CDが欲しい」と言った。オランダの女性ヴァイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセンの演奏による『四季』。まさに古典的なイ・ムジチのそれとは違う瑞々しさと疾走感のある演奏が素晴らしい。偶然ラジオで耳にし惹かれたそうだ。庭の梅の木がまさにほころぶような時期だった。以来、母は時々それを大音量で聴きながら、しばし物思いに耽っている。

50数年前のあの日、父はフォルクローレでもなくムード音楽でもなく『四季』を選んだ。もしかしたらレジに向かう途中でコンチネンタルタンゴのレコードが目に入り一瞬気の迷いが生じたかもしれない。しかしそれでも『四季』を離さなかった。

思う。そこにはもしかしたら、母への秘めたるメッセージがあったのではなかろうか。自らに訪れた"我が世の春"の想いを、ヴィヴァルディの「春」のメロディに乗せて母に届けようとしたのではないだろうか。だから、本来好きな音楽には目もくれなかったのではないか。

だとしたら、その想いはしっかり母に届き、半世紀の時を超えてもなおその心に残っているということだろう。ジャニーヌ・ヤンセンのCDを欲しがったこと。それは、決してヤンセンの演奏がただ素晴らしかったからだけではないはずだ。

時代が移り人が逝ってしまっても、そこに流れていた音楽とその情景は決して引き離されてしまうことはない。問うてみるような野暮なことはしないけれど、きっと母は、縁側でお茶をすすりながら『四季』を聴く時、父とのレコード喫茶のひとときを旋律の向こうに思い出しているのだと思う。

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髙橋晃浩
たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役

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