髙橋晃浩

福島県郡山市生まれ。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄…

髙橋晃浩

福島県郡山市生まれ。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。インタビュー2,000人超、CDライナーノーツ執筆200枚以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」(2017~)。郡山市「フロンティアファーマーズ」(2018~)。マデニヤル株式会社代表取締役

マガジン

  • 手の美術館

    『手の美術館』は、インターネットの中だけにある美術館。展示されるのは、手の写真ばかりです。 手は体の中で最も「生業」が刻まれる部分です。生業の裏には、必ず人生があります。ここでは、特徴的な手を持つ様々なお仕事の方々を有名無名に関わらず取り上げ、コラムと写真でその人生を綴ります。

最近の記事

なぜ僕らは『侍タイムスリッパー』にこれほど心惹かれるのか(若干ネタバレあり)

とある週末の東京の朝。予定していた用事がなくなり、ふと時間が空いた。 週末は僕にとって、溜まった原稿を書くための貴重な時間だ。平日はあれやこれやと連絡が入ってきて、集中して原稿を書く時間がなかなか取れない。降って湧いたような滅多にないチャンスを最大限に活かそうと、カフェに入ってパソコンを開いた。 しかし、ふと考える。そもそもこんなふうに不意に生まれたせっかくの時間を、ただいつものように原稿を書くことに費やして良いものか。そもそも、明日の朝までに終えたい作業の時間配分はすで

    • 友だちを見つけた日

      話の流れでしばしば冗談めかして「僕って友だちがいないんで」と自虐してしまうことがあるのだけれど、これは決して冗談ではない。ちょっと仲良くなったぐらいで友だち扱いするなど相手に失礼だろうという気持ちもある(僕を友だちだと思ってくれている方がいたらごめんなさい笑)。 そんな僕が珍しく飲み会に誘われ、三軒茶屋へ行ってきた。上京して最初に過ごした街だ。 20歳数日前のバーデビュー むかし、三軒茶屋駅から歩いて7~8分の世田谷通り沿いに一軒のバーがあった。店の名前はオールウェイズ

      • 俺たちのすずや市民球場とあの頃のラーメンの思い出

        母が膝を悪くして以来、身のまわりの手伝いで実家にいることが多くなった。ゴミ出しに庭仕事、掃除と、やることはいろいろある。歳を取って億劫になったのか目が行き届かなくなったのか、最近は家の中にゴミや埃が目立つ。今こそ自分がやるべきとは思うものの、母は母で手を出され過ぎることにいささか抵抗があるようで、その匙加減がなかなか難しい。あまり世話を焼き過ぎてもいけないだろうと勝手に忖度しながら、まずは与えられたタスクを淡々とこなしてみる。 今の母が100%息子に頼らざるを得ないのが買い

        • TOUR2024“MASTER OF SHADOWS”で確信した中田裕二の「追熟する音楽」

          中田裕二のライブツアーはできる限り仙台で観るようにしている。日程的に東京公演のほうが都合が良くても、なるべく仙台に足を運ぶ。彼にとっての大事なホームのひとつ。東北人として、そのアドバンテージが得られるような気がするからだ。お客さんの控えめなリアクションも、同じ東北人としてしっくりくる。 ただ、今年のツアーは仙台と東京の2ヵ所でライブを観ることができた。無事にツアーが終わったところで、2つのステージの記憶を辿りつつ、彼の音楽に対して心に芽生えた新しい感覚を書き留めておきたい。

        なぜ僕らは『侍タイムスリッパー』にこれほど心惹かれるのか(若干ネタバレあり)

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        • 手の美術館
          4本

        記事

          カスハラと「お客様は神様です」の誤解を三波春夫と我が家の浅からぬ縁から解く

          Yahoo!ニュースでこんな記事を見かけた。 「三波にとってのお客様はオーディエンスであって、カスタマーではない」。 三波春夫の娘さんでマネージャーも務めた三波美夕紀さんの言葉。三波春夫という人はきっと、聴き手の視点と届ける側の情熱を持ち合わせていた。おそらく、この2つを持ち合わせることは、我々凡人の想像をはるかに超えて難しい。それが共存したからこそ、三波春夫は人の心を掴む歌手であり続けたのではないかと思う。 行間から伝わる三波春夫の人柄 6年前に亡くなった祖母の隠居

          カスハラと「お客様は神様です」の誤解を三波春夫と我が家の浅からぬ縁から解く

          名古屋喫茶店探訪史上最渋の店に入ってしまった…はずが。

          あるクライアントから、1~2ヵ月に一度のペースで名古屋での取材が入る。短く済めば1時間を切ることもある取材だが、わざわざ交通費まで負担してくれる。特にコロナ以降、遠方の取材はリモートで済ませることも珍しくはなくなっかたら、気分転換の意味でもありがたい。泊まりがけになることはないが、現実を見れば、泊まって油を売っているような時間など自分にあるわけがない。 とはいえ、せっかくの名古屋だ。少しは爪痕を残して帰りたい。名古屋といえば…そうだ、喫茶店文化だろう。自分が愛してやまない昭

          名古屋喫茶店探訪史上最渋の店に入ってしまった…はずが。

          さようならシェイマス・ベグリー/Rest in Peace the Bold Kerryman, Mr. Seamus Begley.

          シェイマス・べグリーが死んでしまった。古き良きアイルランド西部の伝統音楽を継承する数少ないシンガー兼アコーディオン奏者。73歳とはあまりに、あまりに早すぎる。現地でも追悼のニュースが流れている。 アイルランド独自の言葉や音楽の文化は、イギリスによる植民地化や近代化によって20世紀中盤までに急速に衰退した。その衰退はアイルランド島東岸の首都ダブリンから同心円状に広がっていったが、その同心円の一番果てに位置する島の北西や南西の地域には、20世紀後半になっても古い文化が色濃く残っ

          さようならシェイマス・ベグリー/Rest in Peace the Bold Kerryman, Mr. Seamus Begley.

          初めて知ったシェイン・マガウアンの本質

          2023年11月30日午後11時。たったいま、シェイン・マガウアンの訃報が入ってきました。あらためて、彼の音楽に敬意を込めて、向こうでもどうかやりたい放題で。 -------------------- 確かに見た。この目で。しかも現地で。年は1998年だったか1999年だったか、多分その頃の、クリスマスの直前の時期。場所はダブリンのゲイアティ劇場。100年以上の歴史を誇るオペラハウス様式のその劇場の中心に立っていたのは、お世辞にもその格式にそぐわしいとは言えない、いやむし

          初めて知ったシェイン・マガウアンの本質

          ジョンもショーンもジョン・レノン?~アイルランド人の名前の話~

          こないだ『タイタニック』について書いた中で、レオナルド・ディカプリオが演じた役名のドーソンがアイリッシュ姓であると書きました。それ以来、アイルランド人の名前についていろいろ思い出しています。 最近よく聴いているこのCDのアーティスト名、ファーストネームのほうはなんとなく「マイケルかな?」と察しがつくかもしれませんが、ファミリーネームはなかなかすんなりと読めないでしょう。この名前、ミホール・オ・スーラウォンと読みます。 ミホールは2018年に亡くなったアイルランドを代表する

          ジョンもショーンもジョン・レノン?~アイルランド人の名前の話~

          なぜタイタニックでジャックとローズはアイリッシュダンスを踊ったのか

          金曜ロードショーで2週にわたって『タイタニック』が放送されている。日本で公開されたのは1997年12月。映画のスケールも凄いけれど、前半を見返してみてやっぱり目を引くのはレオ様の存在。これは彼のための映画だったのだとあらためて思う。 『タイタニック』でブレイクしたアイリッシュバンド例の舳先のシーンなど印象的な場面がいくつかあるこの映画の中で一つのアクセントとなっているのは、三等客室でジャックとローズがぐるぐる回転しながら躍るあのシーン。2人はアイルランドの伝統的なダンス曲を

          なぜタイタニックでジャックとローズはアイリッシュダンスを踊ったのか

          父がヴィヴァルディに込めた「我が世の春」

          「どんな音楽を聞いてるんですか?」 若い頃、人に聞かれて一番困る質問がこれだった。質問の相手が期待する答えを、当時の僕はまったく持ち合わせていなかった。同世代の仲間が聴くような音楽をほとんど聴かずに若い時代を過ごしてしまったのだ。いろいろ柔軟に聴くようになったのはずいぶん大人になってからだと思う。 人よりちょっと変わったものを聴いていたいという想いもあった。「大衆に迎合するものか」という妙な意地も子供の頃から持っていた。これはおそらく父親譲りの性格だと思う。 父も流行り

          父がヴィヴァルディに込めた「我が世の春」

          馬場俊英さんがいなかったら俺は死んでいたかもしれない。

          去る2月21日はシンガー・ソングライター馬場俊英さんのデビュー25周年記念日。心から、おめでとうございます。 TOPの写真は「馬場白書」。10年前、つまり2011年、馬場さんの15周年の年に出されたアルバム『HEARTBEAT RUSH』の初回限定特典で封入された、それまでの馬場さんの15年を振り返る68ページのブックレット。これの編集と、表紙を除く全ページのデザインを担当させていただいた。かねてから馬場さんの音楽を日々の糧にしていた自分にとって、これは夢のような想い出。色

          馬場俊英さんがいなかったら俺は死んでいたかもしれない。

          やなせななさんとの想い出

          今回のクラウドファンディングは、かけがえのない多くの新しい出会いを僕にもたらしてくれました。参加してくださるアーティスト、アーティストと関わっておられるライブハウスの方々、そして、ご支援や拡散に力を貸してくださった名も知らぬ多くのみなさん。達成したことはもちろん大きな喜びではあるのですが、もしかしたらそうした新しい出会いこそ、思い切ってクラウドファンディングをやってみて得ることができた一番の財産なのではないかなと感じています。 そしてもう一つ、今回のクラファンは、ある人との

          やなせななさんとの想い出

          玉置浩二が歌で放つ「愛」

          中学生や高校生の頃は、大好きなアーティストの新しいシングルやアルバムが出るのが待ち遠しくて仕方なかった。当時はフラゲなんて言葉はなかったけれど、今より緩かったのか公式な発売日よりずいぶん早くお店に商品が並んでいることもあったりして、今日か明日かと毎日のように通っていた時期もあった。 今はどうか。日々の仕事に追われていると、好きなアーティストのリリースを追いかける余裕などまるでない。発売から1年も2年も経ってから新譜の存在に気づき驚くこともある。ただ、それで新しい作品に触れた

          玉置浩二が歌で放つ「愛」

          今年でなければ表現できなかった憂いを感じる中田裕二さんの新譜『PORTAS』

          本当に好きなアーティストの音楽は、やはり配信ではなくCDで聴きたくなる。サブスクリプションにはずいぶんお世話になっているし素晴らしい発明でもあると思うけれど、音的には言わば濃縮還元ジュースのようなもので、本物のようで本物でない感が否めない。ハイレゾやApple Digital MastersはほぼCDそのままの音源だというけれど、どこかで「でも配信だし」というバイアスが自分の耳にかかる。 配信が濃縮還元なら、CDはストレートジュースだ。聞きたい音がそのまま耳まで届く。やっぱ

          今年でなければ表現できなかった憂いを感じる中田裕二さんの新譜『PORTAS』

          わたしとクレヨン社の32年

          わたくしが運営する福島限定音楽レーベル「ソスイレコード」で、クレヨン社のCD2作品、2004年の『誰にだって朝陽は昇る』と2007年の『宙[sola]』を取り扱うことになりました。うれしい限りです。すでにマデニヤル/ソスイレコードのWEBページからご購入いただけるようになっています。 といっても、これを読んでいる人たちの中でクレヨン社のことをご存じの方は、おそらくほとんどいないでしょう。もったいないことです。 『カセットテープ・ミュージック』での《事件》この10月、マキタ

          わたしとクレヨン社の32年