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2年間の受験生活を振り返って

私は一浪して大学に進学したので、現役時と対比して振り返っていきたい。

1年目:何故大学に落ちたのか

現役時は国公立を前期後期2校、共通テスト利用で私立大学2校を受験したのだが全ての大学において不合格であった。すなわち「全落ち」である。
このような結果に至った理由を「努力不足」の一言で片付けるのは簡単である。だが私はそうはせずに、具体的に言語化することにより深い自己分析を図った。

1.そもそも「浪人しても構わない」と思っていた

高校時代は1度きりであるのに対し、大学進学は毎年一回チャンスがあるため現役で進学することに対してあまりこだわりを持っていなかった。
それよりも、一度きりの高校生活を悔いなく過ごすことのほうが重要だと考えた。実際高3の受験期には(もっと言えば高2から継続して)絶賛片思いをしていた。受験に本気の自分であれば恋愛なんて言語道断だと考えているし、自分は一点集中型の人間であると捉えている。
だからこそ、受験勉強に没頭していなかったことはあまり受験に本気ではなく「浪人しても構わない」という考えを抱いていたことを示している。

2.最大の要因「アウトプット不足」

「アウトプット」は受験勉強において「問題演習」にあたる。特に理系科目においてその代償は大きかった。実際に入試問題を解くときに基礎の積み上げがなかったため、知識の拠り所がなく、何を武器にしてこの問題に太刀打ちすれば良いのかわからない、という状態だった。
長期休暇期間の課題に取り組むことによって、基礎問題の演習の機会があったにも関わらず、その時はその基礎演習の重要性を知らず、ただ課題に取り組むのが「面倒だ」と思い、やる気にもならなかった。
一方で、高3からではなく早期から受験勉強をスタートさせ、周囲のライバルに差をつけることの意義は理解していた。だが目の前の課題に取り組むことが受験勉強につながるとは考えていなかったので、課題への取り組みが無為なものに終わってしまった。

また、過去問演習を早い段階で始めなければならなかった。
8月頃に過去問を購入したものの、結局ズルズルと解くタイミングを逃し続け受験直前までほとんど過去問演習を行わなかった。

その他の要因としては、
・全体のスケジュールを把握しておらず、見通しを立てていなかった。逆算思考をしていなかった。
・「分量と締切の意識」が足りなかった。

「何を」「いつまで」「どのくらい」やるのか明確に考えていなかった。
そのため、
・計画を立てるも、履行が計画通りに行かなかった。
そもそも計画立案さえも不十分という状況であった。

加えて、
・泥臭くやる精神がなかった。
楽々合格を夢見ていて、自分にはそれが可能だろうとどこかで過信していた。

共通テスト前日には、やろうとしていた教材が終わらせることができなかった。その教材は母のお金で買われたものであったため、お金を無駄にしてしまったのではないかという申し訳なさから泣いた。電話口で謝罪しながらテスト前日に泣いた。

2年目:何者でもない自分

高校を卒業して「あんたは予備校に入らないと勉強できない」という母の言葉もあり、予備校に通いながら浪人生としての1年を送ることになった。

中盤(10月)少し勉強のペースが落ちた。昨年の失敗が頭をよぎり、今年も同じ過ちを繰り返すのかと思った。それだけは嫌だった。母が与えてくれたこの1年、絶対に無駄にはしたくなかった
11月、冠模試で手応えを得られず悔しさを感じた。自分の成長を感じられなかったからだ。正直この冠模試を受けるまでの過去問演習も十分と言える量ではなく付け焼き刃程度のものであった。だから当然の結果といえばそうなのであるが、やはり悔しさはあった。
そして冠模試の後から共通テスト前までは、焦っていた。やるべきことが
多く残っていたからである。当初の計画が後ろ倒しになったことも影響している。
そして焦りとストレスからか、12月の下旬には血便が出た。母はこの状況を
私よりも深刻に捉えていたようである。「慌てず自分のペースでやるべきことをしっかりやること。去年と同じ失敗をしてはいけない」と客観的な意見をくれた。

死を感じる

一年に2度も死を感じることはかつてなかったし、浪人期に死の恐怖に直面するとは想像すらしていなかった。この経験には何か意味があるのだと信じたい。

1度目 ガムを噛みながら電車の発車時刻に間に合うように、家から駅までダッシュしたところ、無事に間に合った電車の中で酸欠状態(耳が飛行機に乗った時のような感覚→頭部全体に酸素が回ってないような感覚)になった。やがて軽い吐き気と腹部異常を催し、最終的に意識を失った(と思われる)。
もはや自立することはできなかったが、意識がない中でも手すりに体重を預けられたことが幸いだった。降車駅に到着する少し前で意識を取り戻したが、降車後もホームのベンチに約20分間座り、正常状態を取り戻した。手足の痺れもあったが回復した。
医学的知識はないが、ガムに含まれるメンソールをダッシュで息が上がった状態で激しく吸い込んだことが原因ではないかと考えている。

2度目 ホームから転落しそうな感覚を覚えた。予備校からの帰りの電車に乗るために駅のエスカレーターを降りたとき、ちょうど一本前の電車がホームに向かってこようとしていた。それは駅のアナウンスと電車の音からわかった。私は気分が良かったのかわからないが、その時いつもよりも勢いよくエスカレーターからホームに飛び出した。ホームは電車を待つ人たちで比較的混雑していたのだが、ホームに勢いよく足をつけた瞬間、人混みから視界が開けて電車がこちらに向かっていたのである。
幸いホームからは飛び出さずに人身事故となることもなかった。電車を利用する他の人まで巻き込んでいたかもしれないと思うと今思い返しても恐ろしい。恐ろしすぎてその後、スマホで「死にそうになった経験」と検索し、同じように死の恐怖を覚えた人がいないかどうか探した。それと同時に自分と同じような感覚を抱いた人に共感することによって自分の恐怖の感情を少しでも和らげようとした。

社会の出来事

2022年度は自分の身だけでなく、社会的にも様々なことが起こった一年であった。以下に個人的に気になったニュースを列挙したい。一部のニュースにはコメントもつける。

2022年
4/1 改正民法が施行され、成人年齢が18歳に引き下げられる

4/10 ロッテ・佐々木朗希選手が28年ぶりに完全試合を達成
(20歳での達成は最年少)他にも記録ずくめであった。詳細は以下を参照。

6/7 ボクシング・井上尚弥選手が2RTKO勝ちでバンタム級3団体統一
(vs. ノニト・ドネア)
ドネアとはWBSS決勝以来の再戦になり、史上9人目、日本人初の4団体統一王者となった。2RTKOでの決着には衝撃を受けた。

7/8 安倍元首相銃撃事件

8/10 エンゼルス・大谷翔平選手が2桁勝利 & 2桁本塁打を達成
(ベーブルース以来104年ぶり)

9/8 イギリス女王・エリザベス2世が死去
月並みな言い方ではあるが、記録(世界で2番目に長い在位期間)にも記憶(人柄、ユーモア)にも残る偉大な女王であった。

10/29 梨泰院雑踏事故

11/15 世界人口が80億人を突破

<サッカーW杯>
11/23 日本代表、ドイツに2-1で勝利⭕️
11/27 日本代表、コスタリカに0-1で敗れる❌
12/2 日本代表、スペインに2-1で勝利⭕️
12/18 アルゼンチン代表が優勝、フランス代表が準優勝
(メッシ vs. エムバペ)

12/13 ボクシング・井上尚弥選手がバンタム級4団体統一

2023年
1/23 LAで銃乱射事件発生
この日の前夜、マシンガンを男が乱射してそれに自分が巻き込まれるという夢を見た。正夢かと思った。

年間を通して:ウクライナ侵攻
ウクライナ侵攻が開始されたのは2022年2月24日、1度目の2次試験の前日である。ホテルのテレビでNHKのニュース速報を見たのを覚えている。試験前日にも関わらず、Twitter(現在のX)で関連ツイートを見て「今後の国際情勢はどうなるのか」「WWⅢを引き起こすことにならないか」「日本は巻き込まれることはないのか」と不安を抱いたの覚えている。
また浪人期が始まった時も、太平洋戦争下における学徒動員を脳裏に浮かべて「ここから1年間受験勉強を続けられないということも起こりうる」と考えていた。

志望校変更と想定外の文転

共通テスト後に予備校の先生から志望校変更を提案された。
その大学は2次試験に理科が出題されず、数学Ⅲも出題範囲ではなかったことから「事実上の文転」であった。

まさかこのタイミングで志望校を変える?
その大学の過去問演習もしたことがないのに?そして文転?
残り約1ヶ月で間に合う?

戸惑いを感じる一方で、当初の志望校と自分の実力の間に差があることも自覚しており、合格は奇跡でも起こらない限り正直厳しいだろうとも思っていた。

志望校を変更するか否かの決断には心の整理を要した。
まず「自分は何を学びに大学に進学するのか」を明確化した。その結果、
仮に志望校を変えたとしても、その大学では自分の興味・関心がある学問が学べることがわかった。
だから個人的にはこれまでの志望校を断念することよりも「2次試験で理科を使わない」ということがとても悲しかった。当然共通テストだけでなく最後の2次試験まで理科という武器を使うものだと思っていて、これから残り1ヶ月その武器をより磨いていくことへのモチベーションがあった。共通テスト後理科をやらないのは全くの想定外であった。
私をこれを「理科との突然の別れ」と呼んでいる。何事においても、突然の別れは悲しいものである。

最終的に「高校3年間+1年を通した理科の学習は大学以降の学びにおいて決して無駄にはならない(役立つ時が来る)」という事を母との会話で再認識し、志望校を変更するという決断に至った。

思えば中学入試でも私は志望校を変更した。その理由は同じ小学校の仲の良かった友達がその中学を受験するから、という安易なものだったのだが。
残念なことにその友人は不合格となってしまい、地元の中学に入学した。
中学の時と同様に、「入学する学校を変えて良かった」と思えるタイミングが今後訪れることを願っている。

2度の出願ミス

○私立大学出願ミス
保護者名を入力すべき所を、自分の名前にしてしまった。
○後期受験大学出願ミス
卒業年月を3月ではなく、4月にしていた。

2回もミスをするとか本当に何してるんやろうか。呆れてしまう。

前期の出願はミスなくやれてよかった。またこのことを教訓に、前期に出願した大学の入寮申請はかなり丁寧にやった。

Z会

高2の9月から2年半やった。上記の通り、高2から受験勉強を始めることの重要性は理解していたので、Z会の受講によって受験勉強をスタートさせたいと考えたことが動機である。ただこの受講が「自分はZ会をやっているから大丈夫だろう」という甘え、一種の気の緩みになっていたことも否めない。
私がゆるーく受験勉強”気取り”のことをやっている時に、同級生は化学の重要問題集を自分で購入し、高2のうちから既習事項を入試レベルに引き上げる作業にガリガリ取り組んでいたのである。その事を知ったのは高3になってからで、その時には既に取り返しのつかない大きな差が生まれていた。

Z会は受験生に対して様々な情報提供あるいはサポートをしてくれた。「受験応援通信」の定期的な配信や「教えてZ会!」での質問対応などが挙げられる。その中でも個別で相談を行った際の返答の中に、印象に残った言葉があるので紹介したい。

試験会場で助けとなるのは、過去のがんばった自分だけですので、「これだけ努力したから大丈夫」と思えるように対策を行うことが重要です。

世の中に出れば、できないことばかりですし、それこそ自分の失敗が人の失敗になる(逆もまた然り)こともたくさんありますので、勉強という個人で完結できる努力ができるのは、今の間だけだと考えて、楽しんで取り組んで欲しいですね。

勉強が個人で完結できる努力である、という捉え方をそれまでにしたことはなく、とても示唆的だと感じた。他に個人で完結できる努力には(例えば)筋トレが挙げられるだろうか。今後行う努力は「自分のために」というよりは「他人のために」という努力が多くなってくるのだろう。

Z会には浪人期にも(いやむしろ浪人期の方が)お世話になったので感謝している。問題の質も高く、解いていてかなり頭を使った。全てオリジナル問題らしい。青・水色を基調としたシンプルな教材のデザインもgood。

浪人期の総括

結果としては出願したの私立大学と前期の国公立大学全てに合格することができた。「全落ち」の昨年と比較すれば、この結果は「全勝」でありとても嬉しかった。

そしてこの1年は、これからの人生と自分の生き方を考える上で大切な時間であった。
予備校に属してはいるものの、「高校生」という一種の肩書きを失った
「何者でもない」自分にかなり嫌悪感を抱いた。同年齢の幼馴染は就職して社会の一員として活躍し、収入も得ている。一方で自分は社会に対して何もアクションを及ぼせず、何かの価値を生み出せているわけでもない。むしろ予備校に金を払っている立場である。社会的には落ちぶれてしまった自分にはショックを受け、自分の生きている意義を疑問視したこともある。

加えて受験では点数や偏差値という絶対的な指標の下、他者との比較に嫌でも晒される。そのような中、単一の価値基準に囚われて落ち込む事も少なくなかった。しかしそのような環境の中でも自分自身と向き合い過ごすように心がけた。
また自分の成績が良くなかった頃は、予備校の他の生徒から、自分の学力に対する嘲笑や蔑視(を思わせるような素振り)を受け、傷つくこともあった。しかしそれには絶対に負けたくなかった。そのような声に心を乱されるよりも、自分に集中するべきだと思って1年間勉強した。

受験期に感じたこと

日本の大学入試はクイズである

日本の大学入試システムに疑問を感じ、海外の大学受験システムについて一度調べたことがあった。最初のきっかけはセンター試験から共通テストへの転換である。文科省によればその狙いは、

大学入学共通テストでは、各教科・科目の特質に応じ、知識・技能のみならず、思考力・判断力・表現力等も重視して評価を行うものとする。

文部科学省『大学入学共通テスト実施大綱』より

とのことだが、私には結局思考力を問うているようには感じられなかった。以下の記事でも指摘されているように、多くの問題においてただ問題の出題形式が変わり、「回りくどく」なっている感が否めないのだ。

そして以下の記事には衝撃を受けた。問題文は理解できる。しかし解を導くのが容易ではなく、問われていることも日本の大学入試とは大きく違ったのである。思考力を測るのならば本来こういった内容を問うべきなのではないだろうか。

では各国において、大学入試は何を受験生に求めているのだろうか。
まず文部科学省が各国の大学入試制度を表にしてまとめている資料があったので以下に示す。

『大学入学者選抜関連基礎資料集』より
『大学入学者選抜関連基礎資料集』より

詳しくは以下をご覧いただきたい。

私見ではあるが、日英米3カ国に関しては

日本:大学で高等教育を受けるにあたって最低限必要な知識とその運用能力を問う
イギリス:いかに論理的な思考によって結論を導き出せるかを重要視する
アメリカ:学力だけではなくエッセイによって人格を総合的に考慮する

といった違いがあると考える。もちろん各制度には一長一短あるだろう。ただ日本に関しては、共通テストへの変更によって思考力をより測れるようになったとは言えないと考える。思考力と知識をどちらも一つのテストで測ろうとするのには無理があるのではないだろうか。

型を破るには型を知っていなければならない

型が無いまま型破りをしてもそれはただの破天荒であり、賞賛に値するわけではないということをドラゴン桜から学んだ。

調べてみると、十八代目中村勘三郎さんの座右の銘にも

型があるから型破り、型が無ければ形無し

という言葉があり、また無着成恭さんの

型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』

という言葉がその座右の銘の元となったようである。

人生において全てに締切がある

竹岡広信先生の言葉に

人生においては全てに締め切りがある。「間に合うかどうか?」はダメ。間に合わすしかない。

という言葉がある。全てに締め切りがある理由。それは人生そのものが有限で人生そのものにも締め切りがあるからである。何かをやりたい!あるいは実現させたい!と思った時、締め切りを意識することが大事なのだとこの言葉から学んだ。以下の動画に実際の発言がある。
この動画を見たのが本番1ヶ月前の直前期だったことが残念だった。

なおこの動画自体も有益なものだと思うので、興味ある方は一度全部観てみてほしい。ただし竹岡先生は口調が悪い(と駿台大阪校wikiに書かれているし自分もそう思う)ので気に入らない人もいるかもしれない。その点には留意していただきたい。

勉強する(努力する)という贅沢

次に林修先生の言葉も紹介する。

両親が面倒見てくれて学校に行かせてくれるだけではなく、高い授業料を払ってくれるという恵まれた環境にいる。それなのにやる気にならない。自分がいかに恵まれているかもわからない人間が勉強したって意味がない。

TBS系列『林先生が驚く初耳学!』(執筆時点は『日曜日の初耳学』に改称)より

この言葉は「勉強が贅沢」というフレーズだけが切り取られ議論が起こることにもなってしまったが、本質はそこではない。自分が恵まれていることを自覚して勉強することの大切さを訴えた言葉なのである。
そしてこれは勉強のみならず努力一般に言えたことではないだろうか。努力ができるという環境にいること自体、恵まれているのだから。
実際大学のある講義で、貧困家庭の中高生に学習支援を行っているNPO団体の方の話を伺う機会があり、その話を通して改めてそのことを強く感じた次第だ。

また林先生からは「逆算思考の重要性」も学んだ。成功するためには不可欠な考え方と言えるだろう。

上記2名の予備校講師のように、私の通っていた予備校の講師陣にも受験知識のみならず、人生において有益なことも教えてほしかった。

最後に

私が受験勉強をするにあたって、何らかの形で自分の学力向上に寄与して下さった全ての方、受験を応援し、合格を祈念してくださった全ての方、何よりあらゆる面でサポートしてくれた母にこのnoteを捧げたい。

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Daiki Shiraishi
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