怒らない 叱らない
感情の起伏が激しかった子供時代
トラブルの数は果てしなく…
口で勝てないなら、とすぐ手が出て…
そんな私も徐々に感情を抑える事を覚え始めた。
頭に来たら、まず数を数える
これは多分、深呼吸して呼吸を整える
という事なのかな。
気持ちが落ち着いて、なんで怒ってた?
ってなるから不思議。
そうやってるうちに
黙って、平常心で他人の話が聞けるようになってきた。
なんだこの人?と思う事は多々ある
だけど、それは怒りというより呆れ
気がつくと矛盾点を探している
それでもいい加減
同じ話をぐだぐだとしていて
何をしてほしいのか?と思う時はある
それでも、迷い道の中でふらふらしてるのかなと聞いているが、同じ場所でぐるぐると回り続けているだけだと、イライラしてしまうので聞いてるフリしてそっぽ向く。
私の声など届いていないだろうから
お母さんは、この人の話はきちんと聞いてあげなきゃいけない、と思うと顔つきが変わる。ちゃんと、分けているからわかるよ。
子供に言われた
会話の途中から、その事に気づく人は、
私の方に耳を向け始めるのかもしれない
明らかに顔つきや応対する姿勢が変わっても
変わらない人は、誰がなんといっても
「変わらない」
人は「変えられない」
自分が「変わるしかない」のだから
話を聞きながら
目の前に見えないシャッターが降りる
ダメだ…疲れる…
そうやって、少しずつ距離を置く。
話を聞くだけなら
私はそういって、話を聞いてきた
ほとんどアドバイスはしない
本当に聞くだけだ
以前、無料のカウンセリング講座というのを受講した事がある
受講したからと言って、資格が取れるものではない。
自分の子供達がつまづいた時のために、と受講したのだ。
何故だかわからないけど
気がつくと「話を聞いて」という人が集まってきたり、友人の悩みを聞いたりするようになっていた。
「話を聞く」
これは意外と難しい
話を聞く🟰気持ちを整理する
だと私は思っているので
闇雲に相槌は打たない
大抵、心の何処に
その人の「答え」に近いものがある
その答えが
色んな想いがごちゃごちゃになって
奥へおくへと入り込んでしまうのだ。
自分のnoteの同じ所ばかりを
ずっとみている
そんな感じ
それではいけないと思いながらも
動けない、動かない
それが積み重なり
しんどくなり
色んな事が辛くなってしまう
根本的な所を解決する
それも
誰かではなく自分で。
話を聞く時、私が心掛けている事は
絶対、怒らない、叱らない
目線は同じ
見下ろすような言葉を使わない
相手が話しやすいように
自分の意見は控える
話をしているうちに相手の悩んでいる事がちらほら聞こえてくる。
話を聞くというのはアドバイスをすることではないと思っているので、話しやすい雰囲気を作る事をめざしている
時間がかかるし、忍耐もいる
だけど、これ如何で信頼関係の良し悪しが決まってしまうような気がしてる。
傾聴は聞くだけではなく、
相手が話しやすい状態を作り、気持ちの整理ができるように、導く事。
でもでも、だって
この状態のうちは、何をしても…
話し切った後の
辛かったんだ
寂しかったんだ
このつぶやきが大事
このつぶやきを聞いたら
次の段階へと行く
弱り切った状態の人に
頭ごなしに
「みんな辛いだ」とか
「そこまでしてもらってるくせに!」とか
言ってはいけない。
怒りたいのはわからなくもない
だけど、怒った所でその人は変わらない
怒られた事だけが残り、変わる機会を失ってしまう。
怒らず、叱らず、諭す事から始める
ちょっと、膨らんだ頬を
つっっいて
「げんき?」って扉を叩く
少しずつ少しずつ…
だって、みんながニコニコ笑ってたら
楽しくなるでしょ?
距離を置くのも
自分を守るためだけど
変わろうと努力をしてる人もいる
人は失敗をする生きもの
そして
失敗を許せる生きもの
変わるきっかけに気づいてくれるなら
いくらでも話は聞きたいと思っている。
私の拙ない人生の経験が役に立つなら
アドバイスもしましょうか?
あまり得意ではありませんが。
ねぇ、分かった?
この記事、読んでくれたかな?
辛くなったら、一緒に泣こうね
楽しかったら、一ぱい笑って
あなたを遠ーくから見てるからね
頑張ってね。
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