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呪縛

落ち着きがない
乱暴者
喧嘩ばっかり
物をすぐ壊す
女の子らしくない

私につけられたレッテルです。

母が私の事で怒られるのを見ていた私は
いい子になりたい
みんながいう「普通」になりたくて
もがきました。

第何次かのベビーブーム世代
1学年、40超×4クラス
想像できますか

当時、発達障害、なんて言う言葉はありませんでした。
クラスの中に必ずにいる「ちょっと変わった子」で「特別な子」ではありませんでした。

多分、私も「変わった子」だったと思います。
情緒が安定しない。
自分の感情を言葉に表せず、それでいて、
スルーする事が出来ず、手が出てしまう、
そんな子でした。

今も昔も変な先生はいます。
頑張っても頑張っても
認めて貰えず、問題児扱いされていました。

母は強い人でしたから、
そんな先生に立ち向かい
私の壁になってくれました。
愚痴を吐いた事がなかったのですが
かなり辛かったと思います。

だからこそ
私はしっかりしなきゃ
お母さんが怒られないように
いい子にならなくちゃ

そう思ったのです。

父は厳しい人でした
九九が覚えられず、殴られた事もあります。父との話はまた、機会があれば…

私が通った小学校は「特別な子」と区分けせず、みんな仲良かったような気がします。

困っている子には手を貸す
いじめられている子は庇う
私のクラスだけだったのかなぁ

ちゃんと、自己主張のできる子が多かったから殴り合いの喧嘩なんて、しょっちゅうでした。でも、喧嘩した後はけろり。

一見、野蛮で乱暴に見えますが、
実は大切な事だったんだな、
と自分の子供達を見て思います。

みんなと同じになりたくて、
無理をしていたと思います。

母を悲しませたくなくて
母に褒められたくて
人の行動を先読むして、行動する母を
見て、私もならなくちゃって。
そして、気づくと
私は「空気読みすぎる」子になっていました。

多分、母は「空気を読みすぎる」人だったのだと思います。
(そうさせてしまったのは祖父)

空気を読む、っていい事に聞こえますが、
「他人の顔色を読む」と言う側面もあります。

私の父は普段無口です。
そして、突然怒り出す人でした。
機嫌が治るまでずっとムスッとしてました。

何が原因かわからない事もあり、
常に怒らせないように、と気を遣っていました。

怒られたくない、じゃあ、
いつも様子を伺っていよう。

多分、怒られる事より
何で、怒られてるのか
わからない事が恐怖だったのだと思います。

いい子でいなくちゃ
真面目でいなくちゃ
親の言う事(特に父)にはむかってはだめ!母が怒られる。
母が笑われる。

頭の片隅にいつもありました。

気を遣ってるはずが「お節介」と言われて傷ついた事も。
今でも、それはあります。

手を異様に洗う
汚れた服はすぐ脱ぐ

そんな事が始まったのもその頃。
多分、子供ながらにストレスに感じていたのでしょう。
気持ち悪くて仕方なかったのです。

大人になり、少しずつ改善されて、
汚れた服を…は消えていきました

ただ新しい問題が発生しました。

突然、私はなんでここにいるの?
ここにいるのは私?
私は存在しないのでは?
ここは架空の世界?

これは今でも時々あります。

怖いとか…全くないです。

20代の頃は
突然、息苦しくなって意識が飛んだり…

貧血?と思い血液検査を受けても
異常なし

ひょっとしたら
起立性調節障害だったのかもしれません

今までなんだかんだと口を出してきた過干渉の父が二十歳になった時
「もう大人なんだから」と一才口を出さなくなりました。
束縛から逃げ出せたと嬉しくなった反面、
積み重ねがない私は、親の目にビクビクしていました。

私の転機は結婚でした

夫は所謂、転勤族
親から遠く離れて
やっと、親の「呪縛」から解かれたのです。

義両親の存在も助かりました
実両親とは真逆
そして、何より
自分の娘のように可愛がってくれます。

実両親よりも義両親といる時の方が心が休まりました。

義両親がいなかったら
私は実両親の「呪縛」で子供達に
同じように「呪縛」をかけてしまったかもしれません。

義両親に感謝です。

ツラツラと書いてしまいました。
最後まで読んでいただきありがとうございました

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