出来の悪い子
私は自分の子供が嫌い
なんて思った事はない
そりゃ
某さんちのお子さんのように
なんでもできたらいいのに
と思う事はある
だけど
だからと言って
嫌いにはならない
「お母さんなんて、辞めてやる!」
そう思うこともあった
だけど
それは子供が嫌いだからでなく
子供の気持ちに寄り添えない私が
親でいる資格などない
と思ったからだ。
子供達に罪はない
彼ら彼女らは
精一杯頑張っている
その頑張りを応援できるのは
親の役目
全て完璧なんて
大人だってそうそういない
できないから
大人が教えていく
できない事がいけないんじゃない
チャレンジしない事がいけないんだ。
「よくできたお子さんで」
これ聞くと、悲しくなる
この子は、どれだけ本当の自分を隠してるんだろう
この子はどれだけ、大人の「良い子」に縛られてるんだろうと
子供らしくいたい時期に
子供らしさを取り上げられてしまっている
そう感じてならない
「うちの子、出来が悪くて」
子供なんて、そんなものでしょ。
できないんだから、学校に行ってるんだし
出来が悪いなんて、大人の決めた勝手なものさし。その子にはその子の必ず良い所があるのだから、それを伸ばせばいい。
そもそも、出来が悪いなんて、
人前でいう事が、出来が良い大人のする事ではない。
じゃあ、あなたは
出来の良い親なんですか?
完璧に親をしてますか?
お金をかけて
塾に行かせて
良い学校に入れて
良い所に就職させる
それが出来の良い子
出来の良い親ではない
まぁ…
お金はかけてあげたい…
本当の「出来の良い子」は
頭が良いだけでは通用しない
社会は人と人の繋がりで出来ている
そこにはルールが存在がする
学校でしか教わらないこと
学校では教わらないこと
この二つの「教わらない」事が
くっつく事で社会で生きていける
学校生活の中で頭が良い子が
社会に出て、うまく馴染めないというのは
学校以外を知らないからなんじゃないのかなと思うわけ。
逆に社会に出て、バリバリ(古いなぁ、言い方)に働いているのは、学校以外の知識を豊富に持っているから…じゃないかなぁ
狭い箱の中が全てではないから
狭い箱の中で一番になってる子供を
「出来の良い子」と崇めるのではなく
寧ろ、こういう子には狭い箱以外の世界を見せるのも大事だと思う。
それが子供を守り、子供の自立を伸ばす事になる…と。
出来の悪い子なんていない
覚えるのがゆっくりなだけ
子供は大人になるまでにたくさん学ばなきゃいけない事がある。
だけど、そのスピードはその子その子で違う。
大人は焦らせずにゆっくりゆっくり、待つ。
子供の本領発揮は
社会に出てから
そこまでに大人がどれだけ
子供に知識とルールを教えられるかが
子供が社会で生きぬけるかにかかっている気がする
出来の悪い子なんていない!のだから