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「今ここ」考察

過去を思い出すのは今
未来を思い描くのも今

今の中に過去も未来もある

経営や心理学の勉強をしていて、しばしば目にする言葉の「今ここ」。

過去や未来ではなく、今に集中しよう、
自分ではコントロールできないどこかではなく、コントロールできるここに集中しよう、

そういう意味合いで使われると感じています。
なるほど、その通りですよね。
でも、世の中は因果応報、原理原則、ロジカルに動いているし、外部環境の変化も大きくて早いです。
「今」だけ、「ここ」だけにフォーカスしすぎるのは、果たしてそれで良いのだろうか…とも感じていました。
前回のnoteも触れた「Pale Blue Dot 君が微笑めば、」という映画ですが、その中に出てきたのが冒頭の一節です。
メモを取りながら鑑賞したわけではないので、言い回しは不正確かもしれません。
この一節を目にして「今ここ」の「今」について、自分の中の謎が溶けたように感じています。
「今」を形成しているのはこれまでの過去の積み重ねで、「今」の積み重ねが未来に繋がる。
「今」に集中することは、過去と未来を大事にすることに他ならない、かなって。
映画の中では、人には自分の命が誕生した瞬間の記憶はなく、死の瞬間の記憶もまたないことから、それは命が永遠であることとほぼイコールでは、といった哲学的・宗教的な考察もあったように思います。
(決して謎の宗教とかに傾倒した映画じゃなかったです)
その辺の理解は、僕にはまだ及びませんでした。

で、つまり「今ここ」の「今」に集中することは決して過去の経験や未来を見越した計画を軽視しているわけじゃないのだなと、「理解」とは違うのですが、ぼんやりと感じられたのです。
「今ここ」の「ここ」についてもそうなのでしょうね。
コントロールできない領域があるのをしっかりと認識した上で、じゃあ、コントロールできる領域である「ここ」で何をするか?どう行動するか?ということが大事なのかなー。
自分の感じたことを言語化する難しさを感じている今ですが、少しスッキリした気分をもらえたので、ここに記録します。

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