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#77 生きていけた、猫がいたから


今日はテープ式心理学のお話ではなく
私自身の個人的なお話を

2月22日猫の日にちなんで書きます


私は数年前
苦しみの最中にいる時
数回ほど命に関わるアクションを行おうとしました

当たり前のように毎日「死」を模索する日々で
どうして生きているのか
全くわからなかった日々でした

きっかけはDV元恋人とのいざござでしたが
蓋を開ければ

私の中にあるたくさんのガムテープが
ずっと騒いでいた、だけです
(今となれば、のはなしですが😸笑)


苦しくなった時
居ても立っても居られない時
キッチンに行って包丁を持って
死ぬのか!死なないのか!
どっちかにしてよ!私!って

泣きながらだけどギリギリの所にいながら
苦しんでいたのを覚えています

今生きているのは
勿論自分を殺めていないから…なのですが

その理由の大きな理由は
「ねこ」にあります

私はさらにその昔から
保護猫と暮らしています
(今も2匹の保護猫と生活しています)


「私が死んだら、だれがこの子の面倒を見るんだろう」

「私が死んだらこの子のことを
誰に伝えたらいいんだろう」

「私が死んでそれを伝えられなかったら
この子はご飯やお水食べられなくて
信じてしまうんだ…」


キッチンで苦しむ私に
猫はただスタスタと駆け寄ってきて
そばにいてくれました。


ごめんね、ごめんね、と
何度も誤ったことを覚えています

私が大きな声で泣くたびに
猫はいつも寄り添ってくれました

何を考えているのかは
やっぱりわかりません

だけど私は
「どうしたの?」
「僕がいるよ」
「AOI、つらいの?」

そんな風に言ってくれてるのかなって
勝手に解釈していました


勿論死ぬのが怖かったのもあります
だけど何より、この子に申し訳なかった
この子を大事にしなきゃ…
そう思うと、いつも手に持った包丁を、
元の場所にしまい、

また死ねない自分を「根性がない!」
「意気地なし!」と思いながらも

それでも「猫がいるから」と
ずっと思っていました

猫がいなかったら?
そう思うとどうなっていたのか
確かにわかりません

勿論本当の答えは
この世を旅立つことではないのも
本当はわかっていたと思います


分かっていても
希望が見えなくなり

ずっと長いくらい暗闇の続く
トンネルの中に1人でいると


もう何が答えなのか
望みなのかすら、わからなくなるのも
よくわかります

猫は希望だったというより
「ただずっとそばにいてくれました」

何かするわけでもなく
ただそばに、いてくれました

あれから数年経ち
今はとても幸せな日々を生活しています
猫もとても元気です。


猫だから、犬だから、
という話ではないことも
勿論分かっています


ただあの頃の私には
猫ちゃんしか、いませんでした。
※当時引っ越ししたばかりで知り合いが少なかったのもあり、頼れる人が少なかったです

本当にありがとう、ありがとうと
これを今書きながらも
涙が出ます。

ずっと「ありがとう」と
感じながら生きていきます。

あの日の私のそばにいてくれて
本当にありがとう







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