誰のために生きるか?
自分のために生きるか?誰かのために生きるか?
これらには大きな違いがある。
自分のために生きると、自分の欲や利益など、自分の内側を見て生きるようになる。
誰かのために生きると、まずは誰かのためになることを見つける必要がある。その答えは自分の内側には無く、外側にしかない。
「誰か」を誰にするか?その人のために何が出来るか?
自分が生きる目的や覚悟を明確にしないと誰かのために生きるというのは難しい。なぜなら自分が自分を一番知っていて、自分の行動を決定するのも自分だから。自分以外の「誰かのため」という理由をエネルギーにしないと自分に甘えすぎてしまう。
時には甘えも必要だが、自分で自分を制御するのは本当に難しい。「次こそ痩せる!」と、どんなに強く決意をしても、どんなに効果のある運動器具を購入しても、なかなか目的を果たせない人はたくさんいる。
「誰かのために」と想った時、その想いの強さに比例して決意や覚悟も強くなる。そのチカラが「継続」を生む。最初は意識して継続をするが、やがて無意識に継続出来るようになる。
人は、なるべく脳のエネルギー消費を抑えようとするそうだ。意識下の行動はエネルギー消費が大きい。結果、無意識下で作業を習慣化させるように出来ている。
仕事終わりの晩酌も、寝る前にスマホで動画を観るのも、無意識下で自分が選択し、習慣化されたものである。全て自分が選択してきたことである。
でも、自分は変わりたい。今よりもっと充実したい。
そう思うから現状に不満をもつ。運動器具を何種類も集めて、やがて押し入れにしまう。自分の内側だけでなく、誰かのためにという外側にも目を向けてみると、やがて無意識下で自分を変える選択が習慣化され、変化していく。
誰かのために生きること。それは、見方を変えれば自分のために生きることにもなる。