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何者でもない
きのう、珍しく12時に眠れた。
が、起きたら 13時 。、、
また私の時計が狂いました。。
眠れないので、この前フォロワーに書いてって言われたこと書いてみようと思います。
大学に入ってから変わったこと。
うーん、なにも変わってない気がします。
その不変に焦っている気がする。
若さが武器になる時間が終わっていくこと。
怖すぎます
若いのに○○できてすごいね。
親が教育熱心だったので、こういう言葉をよく聞いて育ってきました。
私にとっては両親に貰ったその環境が普通だっただけ。
普通だから淡々とこなしてきたけれど、諸々ありその普通に戻れなくなった今、どうやって普通を取り戻せばいいのか 足踏みの毎日です。
先日見た映画にこんなセリフが出てきました。
「普通ほど怖いものはない」
その映画はほんとうに訳の分からない作品だったんだけど、そのセリフだけは共感しました。
話が逸れました。
大学生の私が言うのもなんですが、
大学生って怖いです。
みんな普通を分かって普通から反れず普通のなかで毎日を過ごしている気がする。
その大勢のなかにも、私みたいに変な生活をしている人もいるんだろうけど。
私が人見知りなのもあるけれど、なんだかそのたくさんの普通が眩しくて押しつぶされそうで、私にとってたのしい環境ではないです。
人ってあんまり人のこと見てないよと言うけど
大学生って私も含め、まだ子供の集団です。
たくさんの人がいればたくさんの人の輪ができる。
付き合ってるひとたち、ちょっと個性的な子、あんまり学校に行かない私みたいな人間、
普通から少し外れた人間がいればすぐに輪のなかで話にあがります。
ただの話題のひとつなんだろうけど。
同じ学科の人の噂を話して盛り上がっている友達を尻目に、どこまで行っても集団は集団だ と思います。
大学までの道は10分くらいで遠くないけど、
山登りをしているみたいな感覚になります。
高校のときから足踏みになってしまった自分には、
大学に入っても そういう環境が自分にとって山登りになることは目に見えていました。
それでも山登りをすると決めたのは、
学びたいことがあるのはもちろんだけど、
猶予の時間が欲しかったから。
地元から離れて 親から離れて
小田急線沿いのこの、知らない街に住んで
好きなことに触れる時間を増やして
ルーツも何もかも違う人を知って
何者でもない時間が欲しかった。
今までもいろんなところを転々としていたけれど、ずっと海のある街に住んでいたから 今でも海が近くにあることはけっこう救い。
何者でもなさすぎて、何者でもないまま若さだけがなくなっていって、それが怖いけれど。
たくさんの人ごみを たくさんの普通を忘れられる海
関東で唯一 心を開ける友達に会いに行くときの東京
地方ではあまりない好きなバンドのツアーファイナル
そういうものが何者でもない私の猶予の時間を味方していることは事実。
私は今まで地元や家庭に縛られていたという実感が大きくて。
人には、産まれてから環境によって確立される人格があって、私はそれにいろんな疑問を抱いていました。
だからこそ、産まれた環境に左右されずに 自分の選択によってその人格に影響する考え方を、今 大切にしたいと思っています。
この何者でもない時間は、そのために使っています。
めちゃくちゃな生活をしているし自分勝手だけれど
システムに押さえつけられずいくらでも不安になれるこの時間は私にとってやっぱり必要だったと思います。
地元にはもう9ヶ月になる赤ちゃんを育てる同級生もいます。
婚約報告もたくさん見るし、ほとんどが社会人。
いつまでも過去の憂鬱に引っ張られて足踏みの自分に比べると、よっぽど若くして立派だと思います。
ある程度の社会の仕組みや離れられない血縁関係に縛られたほうが、その苦しさに気づかないほうが、システム的に楽に過ごせるのかもしれません。
そう思ってしまうくらい、何者でもない時間は面白くて自堕落で不可解で怖いです。
地元のことはまた書きます
2ヶ月後?3ヶ月後? 成人式なので。
何者でもない自分が、過去 若いのに立派だと賞賛を受けていた自分が、地元に帰ってその事実を実感するのは見ものです。