いつも言葉を探しています (20)

いつも言葉を探しています (20)

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片道切符

人生をやり直したいとおもう。 一方通行の人生で、取り返しのつかない時間を へたくそに使っている自負がある。 自分を変えられるのは自分しかいないのは理解しているが、一度飲み込んだ思考やペースは自我を追い越して染み込んでいく。 焦っている。 その思考になってしまった自分を悔やんで、恨んでいる。 だけど、やり直したところで 不器用な私はやり直した先の人生でまた躓くのだと思う。 リーガルリリーの1997という曲に 「 私は私の世界の実験台 唯一許された人 」 という歌詞があ

    • 何者でもない

      きのう、珍しく12時に眠れた。 が、起きたら 13時  。、、 また私の時計が狂いました。。 眠れないので、この前フォロワーに書いてって言われたこと書いてみようと思います。 大学に入ってから変わったこと。 うーん、なにも変わってない気がします。 その不変に焦っている気がする。 若さが武器になる時間が終わっていくこと。 怖すぎます 若いのに○○できてすごいね。 親が教育熱心だったので、こういう言葉をよく聞いて育ってきました。 私にとっては両親に貰ったその環境が普通だ

      • そろそろ歩くか〜

        わたしは、人から大切にされないことが本当に嫌いだ。 昔から人目を気にして生きてきた。 集団生活のなかで いつも中立的な立場、柔らかい性格、使いやすい立ち位置にいることを意識していた。 そういったある程度の無理した自己犠牲をすれば、 周囲は自分を必要としてくれたし評価してくれた。 でもそれは、単なる自己犠牲の見返りであって 本当に大切にされているわけではないのだと気づくのには時間がかかった。 そして、気づいてからでは自分の生き方を矯正するのには遅かった。 人との距離感

        • 信じることは悲しいこと

          新興宗教だとか スピリチュアルだとか そういうのに嵌ってしまう人が、今まで本当に理解できなかった。 そもそもそういうものに対して 危ない 怪しい という先入観があるはずなのに、どこかでぽろっと盾がなくなったように受け入れてしまう。 人の理性の裏側にまで入り込む、そういうものってなんなんだろうと思っていた。 でも最近、なんだかわかる気がする。 自分がいつでも受け入れてもらえるという状況 、 先の希望が確定している(ように思える)ということ 、 それって 、なにかに縋らな

          うまく棄てなきゃね

          心のもわもわした部分だけ分別して、 ぽーいってしちゃいたいね 私はそういう分別に時間がかかるから、 心のすっきりした部分までだめな感情に蝕まれちゃう まだ 自分や周囲の人間を傷つけないでいようという 最低限の理性があるから大丈夫でいるけど、 これが理性がなくなったらどうなるんだろう 連休明けの人身事故とか 希死念慮を持つ友達とか そういう人を見る度にそう思うよ 生きるって難しいね うまく分別しなきゃね

          うまく棄てなきゃね

          映画は人を生かしてください

          なんかさ、 文章を書くとすぐに 病気とか 心の重たい部分とか そういう弱さで 自分を語る人間になっていそうで、 弱さがあるから 自分を正当化している気がして 怖いんだよ 最近見た映画があって、 それがもう 人間の弱さの詰め放題みたいな映画だった わたしは感化されやすいからよく すぐ泣くんだけど 感動とかじゃなくて、苦しくて泣いたの 弱さの部分を敷き詰めて 苦しい部分を次々に持ってきて 逃げ場がなかった あとね、 わたしはそういう映画で人が死ぬと、 萎えるの 弱

          映画は人を生かしてください

          建前と本音、矛盾

          前からわかっていたけど 私という人間は面倒くさすぎる。 プライドはあるくせに自信はない。 傷つけられるのは嫌なのに 傷つくような道を自ら歩いたりする。 気持ちを言わなくてもわかってほしくて、 察してほしがる。 要領が悪いのに自分を追い込む。 人と違うことを悔やむのに 人と違うことを誇りに思うこともある。 不器用なのに器用なフリをする。 大丈夫じゃないのに大丈夫だと言う。 そんなときも、心のどこかには 大丈夫じゃないことに気づいて欲しい自分がいる。 面倒臭い人

          建前と本音、矛盾

          せめて期待していたい

          子供のころ   恋は、ただきらきらしたものだと思っていた。 高校生や大学生や大人は、冷静で世の中をよく知っているかっこいい人間だと思っていた。 自分はできた人間だと思っていた。 私はそのころの思い描いていた未来と現実とのギャップを まだ受け入れられていないような気がする。 現実を消化して、いい方向に進む道を探さなくちゃいけないのに、いつも道端で足踏みをして、現実から離れるように空を見上げている。 そんな人間だ、わたしは。 知れば知るほど現実は厳しい。 世の中は冷たい

          せめて期待していたい

          気持ちの蓋をすこしだけ開けてみます

          今身を置いている環境や、今までを振り返っても 私は 私を支えてくれる人によく恵まれたと思う。 その反面、私は与えてもらったものに見合うような 人間にはなれていない気がする。 まぁ、何を基準にするのかにもよるのだけど。 私の場合は、人に何も与えられていない 与えられるような自分ではない という状況が怖い。 人間関係は 与えられて 与えて イコールな関係でいるからこそ 成り立つものだと思っているから。 ほんとうは 居心地がいいとか 話が合うとか 人といる理由なんてそんな

          気持ちの蓋をすこしだけ開けてみます

          たのしいがない日は、生きた気がしなかった

          毎日楽しいなんて 毎日楽しくないのと同じ UVERworld の ハルジオン という曲の一節。 平凡な日と、たまにある特別な日 そういう 波の中で生きていて、 学生なら学校、社会人なら職場 そういう時間や立場的な制限がある場に属する限り 波には逆らえない。 起きて 学校へ行って バイトへ行って 寝て、 そんなルーティンのような日は必ずある。 どこかうまくいかなくて、 なんでこんな苦しいのに生きてんだって、 そんな日も必ずある。 そんな何度も押し寄せる波に身を任せる

          たのしいがない日は、生きた気がしなかった

          はたちがこわい

          私はことし、20歳になる。 20歳になるのは、怖い。 自分にしかないもの 自分が他人に与えられるもの 自分の本当のアイデンティティ 価値 未来 そういうものが まだ分かりきっていない状態で 次のライフステージに足を踏み入れることが 怖い。 まだ10代だから、と 若さ故に許されてきたり、助けられてきたことが どこかのタイミングで魔法が解けるように消えてしまいそうで、 その瞬間が来ることをずっと恐れている。 その瞬間のひとつこそが、自分にとっては はたち という区切り

          はたちがこわい

          赦す

          昔から 優しい人間になりたかった。 でも 私はいつも「 優しい人間 」にはなれなくて 「 優しくなりたい人間 」でしかなかった。 人に優しくする瞬間には 心の片隅に偽善の気持ちが多少たりともあった。 結果的な優しさを追い求めて、分け与えられるようなキャパシティは持ち合わせていないのに 自分をすり減らしてでも何かを与えようとした。 優しさを自分の存在価値にすると いつでもそこには苦しさがついてきた。 無理に取り繕ったり 許容できない範囲のことを無理して許容したり 、、

          もう何も躊躇わない

          “ 1人のほうがマシだ なんて心に嘘つき そんなことばっかり言って 愛され方忘れないでね ” 0 choir のここの歌詞が 、とても好き 生きていると、(自分自身も含めた)「 人 」に絶望する瞬間がある。 私は、人が好きだし 人と近い位置で関わりたいと思っている。 人に、自分自身に 期待しているからこそ、理想像と違った現実を見たときにすごく落ち込む。 人間関係は、そのギャップがきつい。 だから、自分に嘘をついて 人から遠ざかろうとしていた時期もあった。 期待なんかし

          もう何も躊躇わない

          自覚できた恥

          私がnoteを書き始めたのは、2年前 17の頃だった。 その頃 自分自身が綴った言葉を見返して、なんだか恥ずかしくなった。 なにが恥ずかしいかって 私はきっと かっこつけて言葉を使っていた。 あのころの私はアイデンティティを探していた。 人より少し文章を書くのに長けていたから 当時の私はそれをアイデンティティとしようとしたのだと思う。 でも あの頃の私は言葉を絞り出していたような気がする。 何もない日々のなかで言葉を綴れば それが何かがあった日になると思っていた。 絞

          自覚できた恥

          わたしの今年

          最近すごくげんきだ ここ3年間のなかで、1番げんきかもしれない。 夜に感傷的にならなくなったし、嫌いだった朝に目が覚めるようになった。 週に1回行ければよかった学校には週に4回行けるようになった。メールは確認するようになったし、部屋が汚いときに「汚い」と気づけるようになった。 当たり前かもね、でも私の世界では当たり前じゃなかった。 去年の今頃は、人生で1番自分のことが嫌いだった。 視野が狭くて不器用で思い通りにならない子供で未熟な自分を、辞めてしまいたかった。 未熟

          わたしの今年

          本心

          救いたいと思うとき、本当は救われたいのかもしれない。 本当に救いたいのではなく、「誰かを救った」という実感が欲しいのかもしれない。 優しさをアイデンティティにして生きていたら、そこに本心と暗がりが混じって、何が優しさで本当の優しさとは何かが分からなくなってきた。 何度も言うが優しさは利用される。 信じた数に比例して、利用される機会が増えていくことにも気づいた。 利用されることに気づきながらも、嘘でも「ありがとう」が欲しかったのだと思うし、 はたまた、いつかそれをまっす