そろそろ歩くか〜
わたしは、人から大切にされないことが本当に嫌いだ。
昔から人目を気にして生きてきた。
集団生活のなかで いつも中立的な立場、柔らかい性格、使いやすい立ち位置にいることを意識していた。
そういったある程度の無理した自己犠牲をすれば、
周囲は自分を必要としてくれたし評価してくれた。
でもそれは、単なる自己犠牲の見返りであって 本当に大切にされているわけではないのだと気づくのには時間がかかった。
そして、気づいてからでは自分の生き方を矯正するのには遅かった。
人との距離感を気にして生きすぎたぶん、
周囲からの距離間や空気に敏感になってしまった。
私はこんなに自己犠牲を経て他人を大切にしているのに、なんで私は人に軽く見限られるんだ
誰が私を本当の意味で大切にしてくれるんだ
昔から知らない間に無理していた代償で、そういう自己愛の気持ちがずっと抜けない。
生まれてきてからこのかた、ずっとそんな生き方しかしていなかった。
自分の良さだと思っていた優しさや柔らかさも、それによって得ていた評価も、何もかも実際は無理していたことで虚像なのだと知ってしまったら、本当の自分が分からなくなった。
そんな感じで、数年前にそれに気づいてからいろんなバランスが崩れ、切って繋げたような毎日しか送っていない。
切って繋げたような毎日に絶望していた時期もあった。ここ数年はずっとそれだった。
人は悪い感情・悪い思考を認知するとネガティブな方向にどんどん浸かっていってしまう。
浸かりすぎて足踏みどころか後退しているような感覚もあった。
前に進む努力ができないことは、前に進めないことと同じくらい苦しい。
この状況を打開するためには、やっぱり日々を淡々とこなすしかない。
生活が崩れると心が崩れる。動けなくなって、思考だけが働いて、歪んでいく。
こんな日々を辞めたいといちばん思っているのは自分だ。
そして、こんな文章をつらつら書いているのは
魂の片割れとかいうやつを探しているから。
(笑わないでください)
本当にいるらしい、どこかに 分かり合える人間が
私はそれに期待して生きている。
私はその人と出会ったとき、自己愛や今までの生き方による思考で 本当に大切な芯を見失わないように、まずは自分の生き方を立て直す必要がある。
少しずつ 少しずつだけど前に歩いていく。
だからどうか、保って。
そのなかで自己愛を踏みにじられることがあったとしても、それが自分の価値だと思わないで。
歩かないと進まない、苦しくても 苦しさをエネルギーにして歩いていく。
自戒です。
もう今年もあと少し、
どこまで歩けるかな