寒さ厳しき折いかがお過ごしでしょうか。
風邪薬を常飲するようになったのはいつからだろう。なんだがずっともさったい。目が覚めると外はもう真っ暗だった。外の気温はわからない、でもわざわざ調べようとも思わない。それくらいの気持ちで、気分で、夜の道を歩いた。突拍子もなく外に出たので薄着で出てきてしまった。冬の冷たさが肌に刺さる。いつもの歩道橋から道路を眺めた、見惚れるほどじゃないが、わたしはこの歩道橋から眺める景色がきらいじゃなかった。車の光の集合体がやけに綺麗に見えるのは、きっと病んでる証拠だ。空を見上げれば満月だった。いや、よくみれば欠けている気もする。どっちでもいいが。
一日中、日が落ちるまで何もしない日は罪悪感の帳消しのため、単なる悪あがきとしてこうやって夜の道を歩いている。このまま知らない街まで歩いてやろうか とたまに思うけど、理性はあるので大体20分くらいで折り返す。
そういえばあの日もこうやって歩道橋を渡ったっけ。まだきみがいたあの日。なんの意味もないけど、何か意味があってほしくて、どうにかなってほしくて、耳の奥に突き刺さるロックンロールが痛い。
いつまでたっても人との会話を覚える癖が直らない。意識的に覚えているというより、後から思い出して相手の言動を分析したり その言葉の本質まで考えたり、なんでこういうこと言ってきたんだろうとか、そうやって考える癖はいつまでも取り払えない。そこで落ち込むことはなくても、相手はこうやって振り返ることすらないんだろうな(笑)と思うと、やっぱり自分のこの性格と付き合っていくのは難しいな と感じる。
だから、そういう面での記憶力には自信があるし、人が一度した話は覚えていることの方が多い。逆も然りで、同じ話を2回されるとすぐ気づく。そして、あこの人は覚えてないんだ とか思って少しだけ落胆する。今までもずっとこういう差に苦しんできた。
昔よりは病むこともなくなったし前向きになったけど、そんな今もこういう思考をやめられないのは、ほんとに性格的なものなんだろうなと思う。もう面倒臭いし、それほど言葉に責任を持って生きている、ってことでいいか。
とりあえず、わたしは気持ちの差がこわい。それだけだ。ずっと同じでいたい。また今度、歩道橋を渡る時は、信号待ちの車を睨みつけて歩こうかな。