陳腐

稚拙ながら

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ことば

わたしは自分のことが世界でいちばん嫌いだ。人と比べることはなくても、やっぱり自分のことは中々好きになれない。でも好きになる努力をしているかといわれたら、そうでもない。 だからこうやって 自分のことを嫌うことで、怠惰でふしだらな自分をぎゃくに認めているのかもしれない。 自分をずっと否定し続けているからこそ、だれかに認められてはじめてわたしはやっとわたしを誇れる。くるしい。完全に自分の価値が他人基準になってる。 他人なんて宛にならないよ、幸せもすぐ逃げちゃうし、ほらいつかのあ

    • 晩夏

      生きてるフリするの疲れたな。ほんとはとっくに死んでるのに。乱暴に空いた無数の穴をただ埋めような、平たく見せるためだけの生活が続いてる。そういう気持ちと向き合ったら疲れちゃうから、ただ見ないようにしてるだけ。見えないように蓋してるだけ。だけど穴は穴で 傷は傷だから、消えないの。どんなに見えないようにしてても、ふわりと風が吹いただけでめくれてしまう。 たとえば、鋭い突風が吹いてしまったら、古傷は無防備になり、酷く痛む。 「神様はなんで才能に見合った夢しか持てへんように設定してく

      • 拝啓 CRYAMY

        ひとつの伝説が終わってしまった、そんな感覚。 いつだって最高を追い求めて 時には理不尽も被って バンドと真っ直ぐ向き合っていたのは、彼らの音楽を聴いてればわかった。あの日の日比谷音楽堂を見れば、言葉でなくたって痛いほど伝わっていた。半端な覚悟で決めたことじゃないのはわかっているけれど、これから彼らの音楽が更新されないと思うとかなしい。もっと見ていたかった。彼らの音楽と共に生きていたかった。 音楽は消えない。彼らが残した唄が、意味を持たなくなることはない。わかってるけど、そう

        • そんなもん

          生きることに意味なんて見出してしまえば、わたしはきっと狂ってしまう。いつかのあの頃に持ってた、夢とか希望とか あるいは闘争心とか、そんなものはとっくに消えてなくなったみたいだし。 生きることに理由や意味なんてない、あるといえば 自分で死ねないから くらいで。 でも、すっかり癖になっている自傷行為を、留まることがある。 愛する人に悲しんで欲しくない。たったそれだけの理由だけで、留まることができてしまう。理解されないから とかじゃなくて、悲しむだろうなってわかるから。悲しませた

        • 固定された記事

          またふりだしに戻っちまったな〜

          どうしようもなく過去も未来も切り捨てたくなる夜、わたしは大体 冷たい床にたおれて無機質な天井を見つめ、子供のように泣き叫ぶ。いやだよくるしいよ、わたしにはもうむりだよ、そしてなんとかしてなんとかこの気持ちを消化しなきゃって、わずかな希望を求めて、音楽をきく。 まだそれだけでも、わたしは救いがあるとつくづく思う。救われたいんだな とも それもほんとう情けない、死にたいのか生きたいのか自分でもわからない。 昔から自傷癖があって、ここ最近は癖というほどでもなく頻度もどんどん減

          またふりだしに戻っちまったな〜

          本当どうでもいいよね

          妙に肝が据わっていて、いつもの帰り道がはじめてのように思える。 それは何も喜ばしいことではなく、何もかもがどうでもよくなるような そんな絶望が顔を出している証拠だ。 金を稼ぐためにしているバイトとか、狭い人間関係とか、絶対に叶えたい夢とか憧れのあの人のこととか、自分を形成してるものがどうでもいいというより、ただ、自分のことがどうでもいい。 自分が我慢すれば事が収まるだろう と信じていたし、わたしなりの善意で そうすることで周りを大切にしてきたつもりだ。 でも、この意地汚い

          本当どうでもいいよね

          寒さ厳しき折いかがお過ごしでしょうか。

          風邪薬を常飲するようになったのはいつからだろう。なんだがずっともさったい。目が覚めると外はもう真っ暗だった。外の気温はわからない、でもわざわざ調べようとも思わない。それくらいの気持ちで、気分で、夜の道を歩いた。突拍子もなく外に出たので薄着で出てきてしまった。冬の冷たさが肌に刺さる。いつもの歩道橋から道路を眺めた、見惚れるほどじゃないが、わたしはこの歩道橋から眺める景色がきらいじゃなかった。車の光の集合体がやけに綺麗に見えるのは、きっと病んでる証拠だ。空を見上げれば満月だった。

          寒さ厳しき折いかがお過ごしでしょうか。

          過去はどうしても美しくみえるけど

          年齢によって聞く音楽は変わる。 その時に置かれた状況 自身の価値観と気分、そんなものによって毎日なんとなく聞きたい音楽は違う。1ヶ月前に狂うほど聞いてた曲を今は存在すら忘れるくらい聞かなくなっていたり、逆に同じ曲を何度も何度も聞いていたり   シャッフルで全く知らない曲が流れてきていいなと思ったり、新しい音楽と出会う瞬間は堪らなく心が踊る。これがライブだったら人の上を転がってる自分が想像できるくらい。 数年前から熱狂的に好きだったバンドを、今はあまり聞かなくなった。冒頭にも

          過去はどうしても美しくみえるけど

          泥臭いロックンロール

          なんとなく気分が沈んでいて、いつもより起きるのが憂鬱だ。煙草をいつもより多く吸った。話し声がうるさい。普段は許せることがゆるせない。 とくに理由はないけれど何かが不安だ。今日はそんな日だ。これから訪れる未来のこと、向き合わなければいけない現実、それらがとてつもなく遠くて暗い。解決しようのない悩みは悩んでも仕方ない、そんなことは自分がいちばんわかっているはずなのに。 ここ最近は、負の感情がオンになるスイッチそのものが減った気がするし、感情をコントロールするのが前よりうまくなっ

          泥臭いロックンロール

          色鮮やかに映し出す

          どんなに幸せなときも、どんなに満たされているときも、私はその状況での“最悪”を想像してしまう。 もしこうなったらどうしよう、とか、 あとでもっと不幸なことが起きるかもしれない、だとか。最悪の未来ばかりを想像する。 幸せなはずなのにな、充実してるはずなのにな、なにがそんなに不満で、なにが私をこんなに不安にさせるの。向き合わなくていいマイナスな感情をわざわざ覗いてしまう。 最悪の未来、この先に起こる不幸せ 。 考えたくないのに考えてしまうのは、何度も“幸せ”に裏切られたから

          色鮮やかに映し出す

          孤独は、時に私を罵り、時に私を鼓舞する。

          オレンジ色に包まれる空も、 真ん丸の夕日を映し出す海も、 そよ風と草木が触れ合う音の心地良さも、 見上げれば無数に光っている星も、 この街にはない。 上京して2ヶ月が経った。環境が180度 いや、生きる水準が180度変わった。ここにきて、変化に応ずる感情と向き合うことを避けてる気がする。 お笑いや映画 ライブなど創作物がとにかく好きな私は、ハイペースでその会場へと足を運んでいる。ただ好きだからという理由も勿論あるけど、異常といえるほどの頻度だったと冷静になった今 少し感じて

          孤独は、時に私を罵り、時に私を鼓舞する。

          for a

          私が誰かに感じる第一印象は、あなたに似ている、ばかりだ。 どこにいて何をしているのかもわからない。 あの時私があなたに言えなかったこと、分かってあげられなかったこと、だけど、本当は伝えたかったこと。 ただその言葉達が、今もまだここに置いてかれたまま。 私にたくさんのものを与えてくれたあなたに、私は何か与えられていたのだろうかと、そんな問いが浮かんでは消えてを繰り返す。 そんな大事なことさえも、会えなくなった今にしか考えられない私はとんだ馬鹿だと思うけれど。 これから

          私の憂鬱を聞いてよ、ねえ、

          ずっと死にたいと思ってたことがある。今日死のうかなとか、今日も死ねなかったなとか。そんなことを毎日。 私より不幸で 私より過酷な環境に産まれた人が必死に生きているのにって、思ったことないわけでもない、私だけが辛いなんてそんなことないのは分かってる。でも自分の不幸だけが、絶望だけが、あまりにも大きく見えて、希望も、大切な人の顔も全て浮かばなくなる。 何か精神的な病気なのかもしれない、この考え方は歪んでいて、一般的ではないのかもしれない。普通とはどこかかけ離れているのかもしれない

          私の憂鬱を聞いてよ、ねえ、

          目まぐるしく過ぎる日々の中で

          バイト行って帰って、適当にスマホ見ながら時間に身を任せて、眠くなったら寝る。 最近の私はといえば、そんな毎日を繰り返していた。半年ぶりにバイトを再開して、慣れない仕事と生活習慣の中、正直 体をついてこさせるだけで精一杯だった。時間の管理もろくにできてない。 それで今日、何ヶ月か前に録音した自分の歌声を聞いた。イヤホンから聞こえる私の歌声は、うまくはないけれど楽しそうで。あ、私、これのためにやりたくないこともやってるんだ、って。 私ちょっと忘れちゃってた、大切なこと。目ま

          目まぐるしく過ぎる日々の中で

          幸せの基準

          以前、アフリカで数学を教えていた先生の話を聞く機会があった。 その話が妙に心に残っているのでここに書きたい . アフリカの子供たちを思い浮かべた時 真っ先に思いつくのは、貧しい というイメージだ。どうしてもネガティブなイメージが浮かぶのだが、 その先生は言っていた 「その子たちもみんなと同じように冗談言って笑いあうし、授業中居眠りもするよ」 ハッとした。 そういう子達のことを勝手に、可哀想だとかいう目で見ている自分がいたことに気づいた。同時にそんな自分に物凄く嫌気がさ

          幸せの基準