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自社ブランド「ramgu」を立ち上げた理由

今回は、私が役員として所属している株式会社二風谷ワークスで立ち上げた、アイヌの伝統を取り入れた生活道具ブランド「ramgu」の話をさせてただきます。

▼ramguのブランドサイトはこちら
https://ramgu.jp/

「ramgu」はアイヌ語と日本語を掛け合わせた造語で「ラムグ」と読みます。
※正確には「ム」は小文字になり、アイヌ語の発音では口を閉じた「ん」に近い音になります。



住民の半数以上がアイヌのまち「二風谷」

代表の萱野が生まれ育った平取町二風谷は、日高地方の西端に位置し、豊かな自然に囲まれ、アイヌ文化を色濃く残す地域として知られています。

古くから研究者が入り、アイヌ語やアイヌ文化についてたくさんの記録が残っていますが、その中でも現在、二風谷で一番力があると考えているのはアイヌ工芸です。

昔から脈々と受け継がれてきた伝統技術を、こんにち迄伝え続けられたのは、昭和30年〜50年代に起きた北海道観光ブームの影響がありました。

当時、木彫り熊等の土産物が飛ぶように売れ、木彫り職人になる人がたくさんいた中、二風谷のアイヌの職人も、それらの土産物の生産で生計を立て、伝統的な木彫りの技術もそこで身に着けていきました。

当時土産物として大人気だったニポポ人形(左)と木彫り熊(右)


木彫りだけでは生きていけない厳しい世界


しかしながら、昭和50年代後半以降、ブームは下火となり景気が悪くなった事で、ひとり、ふたりと職人を辞め、現在二風谷には専業の職人は数えるほどしかいません。何万年と続いてきたこのアイヌの伝統技術を受け継ぐ者が減り、技術が廃れてしまうことに非常に危機感を感じていました。

ですが、今でも木彫り職人になりたいという若者は一定数います。そんな彼らが専業の職人になれない大きな原因が、”絶対的な仕事量の少なさ”にありました。

木彫りの仕事というと、自身の商品作りの他、著名な作家になると、ホテルや公共空間に設置する作品や、美術館の展示品の制作などの依頼がくるようになります。

しかし若手職人にはまだそこまでの知名度がないため、技術があるにも関わらず、なかなかその仕事だけで生計を立てることが厳しい状況でした。


アイヌの工芸を次世代に残していくために


そこで私たちは、

「アイヌの若手職人に継続的な仕事を作り、アイヌ工芸を次世代に残していく!」

というビジョンを掲げ、アイヌの伝統技術を取り入れ、今の暮らしにアップデートした生活道具ブランド「ramgu」を立ち上げることにしたのです。

ramguのものづくりを通じて、今までのアイヌ工芸にはなかった新たな販路を開拓し、より多くの方に手に取っていただけるようになれば、自然と職人たちの仕事も増えていくと考えています。

最終的には若手職人たちが潤い、職人になりたいという人が増え、技術が継承されていく。そんな未来を願って、日々商品開発に取り組んでいます。

次回は、ramguのブランドについて詳しくお話しします。



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