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📗 ギリギリでい぀も生きおいるこずをKAT-TUN以倖で衚珟できる日がくるのだろうか  舟を線む

図曞通で本を借り、返华日になっおも読んでいなかったので、延長申請をした。
そしお延長時の返华日、ただ読んでなかったので、諊めお未読での返华を決めた。

せっかくなので、数ペヌゞだけでも読んでおくかずペヌゞをめくったが最埌、面癜くお止たらなくなった。

結局、返华日しかも延長圓日に読み始める。そしお読了する。


い぀だっおそうだ。倏䌑みの宿題は最埌たで手を぀けないし、明日やれるこずは明日やればいいず、今でも思っおいる。

ギリギリでい぀も生きおいたい䞖代なのだ。


玄歊曞房に勀める銬締光也は営業郚では倉人ずしお持お䜙されおいたが、新しい蟞曞『倧枡海』線纂メンバヌずしお蟞曞線集郚に迎えられる。個性的な面々の䞭で、銬締は蟞曞の䞖界に没頭する。蚀葉ずいう絆を埗お、圌らの人生が優しく線み䞊げられおいく。しかし、問題が山積みの蟞曞線集郚。果たしお『倧枡海』は完成するのか──。蚀葉ぞの敬意、䞍完党な人間たちぞの愛おしさを謳いあげる長線小説。

Amazonより


今回読んだ「舟を線む」ずいう本は、蟞曞を䜜る人たちの仕事ぞの熱意や姿勢、呚囲の人たちずの関係、「蚀葉」にかける思いなどが曞かれた小説である。

蟞曞ずいうその性質䞊、内容に誀甚は蚱されない。そしお、䞻芳や堎の空気だけでなんずなく感じ取れる蚀葉で濁すこずもできない。

「右」「巊」などの単玔に感じるような、あえお人に聞くほどでもないくらいに理解できおいる蚀葉ほど、難しいのかもしれない。
わたしは「右は右じゃん右手の方右以倖の䜕者でもないよ」ずパワヌプレむで抌し切っおしたいそうだ。でも、蟞曞はそれではいけない。

さらに、ペヌゞ数やレむアりトなどから、䞀語に割けるスペヌスや文字数は限られおいる。
長々ず説明すればなんずか䌝わるでしょう、も、通甚しないわけである。

そんな倚くの制玄の䞭で、わかりやすく、そしお誀解を䞎えずに蚀葉を説明するのが蟞曞である。

こんなに蚀葉に真剣に向き合っおいる人たちの話を読んで、わたしは普段からなんずなくで蚀葉を䜿っおいるず感じた。


その䞀぀が、ギリギリの行動をすぐKAT-TUN化するこず。

KAT-TUNのデビュヌ䜜である「Real Face」の歌詞から、ギリギリの行動をした時に「ギリギリでい぀も生きおいたい䞖代だからさ」などず蚀ったりする。

誀解が生じないよう蚀葉を遞ぶなら、わたしは「ギリギリになるたで手を぀けずに埌悔する」タむプなのであっお、決しお自ら「ギリギリでい぀も生きおいたい」ず望んでいるわけではない。それでも、ギリギリで䜕かを成し埗た時に、あの曲が脳内再生される䞖代なので仕方がない。わたし、ギリギリで生きおいたい䞖代なんだよ。そう思っおいた。


おいうか、なんだよ。ギリギリでい぀も生きおいたい䞖代っお。そんな䞖代、ないよ。KAT-TUNだっお、別に䞖代を背負っお歌っおるわけじゃないよ。


舟を線むの䞭にも出おきた、小型囜語蟞兞で日本で䞀番売れおいる「新明解囜語蟞兞」には玄8䞇語匱、蟞曞ずいえばの「広蟞苑」には玄25䞇語もの語数が収録されおいるらしい。

それだけあれば、きっず今のわたしに盞応しい蚀葉があるはず。怠慢ずか。


せっかくこんなにたくさんの蚀葉があるのだから、今のわたしに最も盞応しい蚀葉を、もっず远求しおいきたいず思える本だった。

䜓隓にぎったりの蚀葉を圓おはめお、ふず思い立った時に倧切にできる過去を増やすこずが、思い出なんだなず感じた。
思い出の倚い人は、きっず蚀語化が埗意な人で、蚀語化が埗意な人は、おそらくたくさんの蚀葉を持っおいる人なんだろう。

楜しかった、悲しかった、嬉しかったなどの蚀葉も倧切だけど、より詳现に・繊现に蚀葉を線むこずができたら、もっずもっず過去の䜓隓を倧切にできお、その経隓から、今䜓隓しおいるこずをいずれ倧切にできるず確信が持おるから、目の前の日々を楜しめるんだず思う。


ちなみに、舟を線むずいう本は「蟞曞を䜜る」ずいう詳现蚭定はあるけど、倧枠は「お仕事小説」である。おそらく登堎人物の誰かには共感できるのではないだろうか。

わたしは「西岡」ずいう男性に、ずもかく共感した。
才胜のある他者ぞの嫉劬、自分の持っおいた優䜍性が揺らぐ瞬間の焊り、仕事ぞ熱䞭しおいる人に察する冷めた気持ちず矚望の混ざったえも蚀われぬ感情。

わたしは、どれも感じたこずがある。

西岡はずおも栌奜良かった。他者ぞの嫉劬は尊敬ず衚裏䞀䜓だし、優䜍性の揺らぎを感じおいるのは盞手を玠盎に認めおいるからだし、自分に察しおの無駄なプラむドはないけど、チヌムで䜜り䞊げおいる仕事ぞはプラむドを持っおいる。

共感から始たった章だからこそ、わたしも西岡のように栌奜良い仕事人になりたいず思った。


そうえいば西岡倚分。いや違う人だったかなが、蟞曞で蚀葉を匕く時の人を想像するずいう話をしおいた。蚀葉は䜿う人がいお、䜿うシチュ゚ヌションがあっお茝く。

そう思うず、ギリギリの行動に察しお぀いKAT-TUNを持ち出すのは、蚀葉が茝いおいるようにも感じる。
なんずなく、その蚀葉でグッず人ずの距離が近づく気がする、魔法の蚀葉。それが「ギリギリで生きおいたい䞖代」なのかもしれない。

わたしはこれからもKAT-TUNに頌っお生きおいくず思う。


その前に、ギリギリ行動をやめたいんだけども  。

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