親友
ゆっくりと目をとじて、あの頃を思い出す
中学生のとき、すでに親との関係を壊そうとしていた私は家に居場所はなく、小さな社会のつまらない学校にも居場所がなかった
中学2年生のとき、同じクラスの子を介してひとりの女の子と知り合う
その時私の周りにいた子たちは、みんな心に何かを抱えて苦しんだりしている子ばかりだった
そんな中で彼女はとても明るく、辛さを感じさせず、すぐに打ち解け仲良くなった
彼女は私の壁の内に入り、私も彼女の壁の内に入れたのか他の子には話さないようなことも彼女には話せたし、彼女も話してくれた
彼女を知っていくと、彼女は他の子と少し違っていて色々なポイントが人と合わない
それを気にする様子もなく、彼女はいつも笑っていたように思う
そんな彼女が抱える心の闇はとても深かったのだろう
私のそれと似ていて、彼女の辛さや苦しみがよくわかり、話を聞くたび一緒に涙を流したこともある
楽になりたいね
幸せになりたいね
そんなようなことを環境を恨みながら日々言葉にして過ごしていた
そんなある日
私と彼女を会わせてくれた子が手首を切ったと連絡がきた
彼に別れ話をされての突発的な行動だったらしい
幸い、大事には至らなかったがその子の心を想って切なくなったのを覚えている
私の周りではこういう出来事が多かった
みんなが心に闇を抱えていたし、何かに苦しむことも多くて、誰もがそこから逃げ出したかった
自分を傷つけることが、一瞬の解放感に繋がって、安堵感に包まれる
それを求めて日常的に自傷行為をする子もいた
彼女も例外ではなかった
笑顔でありながら心の闇は深く、自分を傷つけては笑顔で「やっちゃった、ごめんね」と言うのだ
市販薬を大量に飲んで呂律の回らない状態でも困ったような笑顔で「ごめんね」と言っていた
私たちはこれが正しい選択ではないことをよくわかっていた
けれどもそうすることでしか自分たちの心の在りどころがわからなくなってさえいたんだ
そんなとき
ひとりの友達が『転落死』をしたと連絡が入った
泊まっていたホテルからの転落
事件性はなく事故
まさか
経緯は一切わからなかった
何もわからないまま、私たちは友達の葬儀というものに初めて参列した
それはもうどこか異次元で、現実感のまるでない感覚だった
でも、『死』という現実がしっかりと身近に存在するんだということを理解した
それからの私たちはこれまでよりもっと『死』を意識しながら生きたと思う
彼女も『死』に直結しそうなことはしていなかったし
そういう想いを言葉にして、それを私と交換しあったり
電話で話しながら、ふたりでよく泣いたりはしていた
あれから何年も時は経ち、私たちは大人になった
今も彼女との付き合いは続いている
今になって彼女にも私にも病名がついた
彼女はADHDで境界性パーソナリティ障害、そして双極性障害
私は境界性パーソナリティ障害に双極性障害
不思議な出会いだと今でも思う
彼女との出会いがなかったら
彼女と今も付き合いが続いていなかったら
私の『今』は、どんなだったんだろう
私の体調をラインのコメント一往復で察してくれる
理解不能だと思われる私の言葉を拾い上げてくれる
そっとしておいてほしいときには言葉をかけないでいてくれる
そんな彼女は今
私のかけがえのないただひとりの親友でいてくれてる
出会ってくれてありがとう
これからも一緒に生きていこう
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